『ブラック・スネーク・モーン』と包摂
少女が町中で評判のセックス依存症であることを知った男は、少女を鎖でつないで自由を奪い「矯正」しようとする。善意からではない。逃げた妻を引き留められなかったことへの代償行為にすぎず、たんなる逮捕監禁事件である。発覚すれば、どこからともなく自警団がやってきて「変態野郎」と罵りながら男を虐殺するかもしれない(なんかフォークナー的世界)。そんな状況下にある男が、そのリスキーな状況を乗りきってでも少女を救おうとしたのは、彼が属している教会を中心とした黒人コミュニティと幼なじみの牧師やバーテンダーの友達との人間関係(親密圏?)がしっかりしていて、包摂 (subsumption) されていたため。法による支配が通じない世界においては、こうした解決しか残されていないかもしれない、というのがわたしの理解。これ以上、書くとネタバレになるので止めておく。
愚行の自由まであるが人々が分断された社会に暮らすか、自由は制限されるけれども人々を包摂するコミュニティで暮らすか。日本で1960~70年代に青春時代を送ったインテリたちにはコミュニティが土俗的でじめじめした恥ずかしいものに映りがちだが、分断されアトム化した人々で成り立つ今日では“敗者”を包みこんでくれる人と人とのつながりがすっかり枯渇しているのかもしれない。この作品では泥臭いブルースが分断化された人々の感情を回復しコミュニティを構築している。
気の毒な少女は、危うい役が得意なクリスティーナ・リッチーが今回も体当たり熱演。パンツ一丁で走り回っていたのが印象的だが、『バッファロー66』のときほどグっとこない。悩める保守の初老男は『スターウォーズ』のエピソードシリーズでライトサーベルを振り回し『パルプフィクション』で罪もない人を何度も撃ち殺していたサミュエル・L・ジャクソンが好演。存在感あります。
| 固定リンク
「sociology」カテゴリの記事
- ジャーナリズム界における「鳥とバードウォッチャー」の関係(2024.11.12)
- 2020年に観た映画とドラマ(備忘録)(2020.12.29)
- 新聞書評『沖縄で新聞記者になる』(2020.05.19)
- 記者たちの省察~『沖縄で新聞記者になる』を書いて(2020.03.30)
- 『沖縄で新聞記者になる:本土出身者たちが語る沖縄とジャーナリズム』出版しました(2020.02.17)
「cinema」カテゴリの記事
- 2020年に観た映画とドラマ(備忘録)(2020.12.29)
- 議論を誘発する『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2020.08.20)
- 3・19 那覇で新刊トークイベント(2020.02.21)
- 「華氏119」が描く大手メディアの欠陥(2018.11.03)
- 映画『否定と肯定』にみる大衆のメディア(2018.03.12)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
よろしければ映画のフォローの仕方のこつを教えてください。雑誌購読しています?
投稿: schmidt | 2008年10月29日 (水) 12時29分
schmidtさん、こんばんは。
わたしになんかに「こつ」を聞かないでくださいよ(笑)。目についたもの、耳から入った情報に基づいて、気まぐれに観ているだけですから。あと、映画雑誌はまったく読みません。
近年は同居人の影響で法律系が増えていますが、メディアとデモクラシー研究の足しになるような作品を見るよう心がけています。
蛇足ですが、エントリーであまり触れませんでしたが『ブラック・スネーク・モーン』は、ブルース音楽が好きな人にはたまらない映画だと思いますよ。ご覧になりましたか?
投稿: 畑仲哲雄 | 2008年10月29日 (水) 21時16分
「レッド・スネーク・カモーン」
っていうことを言いたい、というだけのことでした。しかしながら、エントリーなさった内容に比して、あまりにくだらなくて不謹慎なので、一日控えておりました。(意味のわからない若者の方、ごめんなさい。)
投稿: brary | 2008年10月29日 (水) 21時42分
>メディアとデモクラシー研究の足しになるような作品
なるほど一つの軸があるわけですね。わたしには・・。ないなあ。ブルース大好きです。見てみたいです。この作品、こちらでは公開されていないんですよ。
投稿: schmidt | 2008年10月29日 (水) 22時49分
>braryさん
ナイス、つっこみ!(爆)
>schmidtさん
ぼくはレンタル店でDVDを借りて見ましたよ。おちかくのTSUTAYAにないですか?
投稿: 畑仲哲雄 | 2008年10月30日 (木) 01時30分