くい込み/ラポール(備忘録2)
ここからは思考実験。ある調査者は「協力すれば得しますよ」などというかもしれない。だが、取り引きから良き人間関係を生むのは難しい。別の調査者は自らの権威を振りかざすかも知れない。「ほら、この名刺をごらん」等々。こんな権力関係を前提とするとロクなものにならない。論外だ。
別の調査者は「あなたの問題を解決したい。それが私たちの社会の利益にもなるから」と緩やかな連携をもちかける。これはラポール構築に有利に働くが、申し込みとしては弱い気がする。もう一歩踏み込んで、「あなたと私は同じような境遇にある」などと感情に訴えかける調査者もいる。ラポール構築にもってこいだが、オーバー・ラポールに陥る危険性をはらむ。というのも、調査者は被調査者を利用する側であることは否定できないし、どこかで“裏切る”可能性があるからだ。被調査者の“不幸”も格好の調査項目となりうる。なので、誠実な調査者ならば、かならずしも被調査者の思い通りの論文にならない可能性があることを説明する必要があり、調査者-被調査者を含んだ「社会の利益」のような第三項を提示するのが、いまのところ最適である気がする。
こうした第三項をひとつのハードルとして設定することで、ともにハードルを越える営みとして、相互協力としての調査パラダイムが設定できる。「あなたもわたしも公益のために尽くす者同士」という人間関係が生まれる可能性がある。だが、よく考えると、それはかなり限定的な関係である。そもそも、公益性のような価値を共有できない人だっている。たとえば、いつも損得勘定で動く人や、攻撃的な人、あるいは嘘つき等々。
ただ、きれいごとばかり言っていては調査研究が進まない。優れたエスノグラフィー『西太平洋の遠洋航海者』を著した研究者、B. マリノフスキーは日記のなかで、調査対象者を差別的に罵っていた。『マリノフスキーの日記』。うーむ。こうした迷宮からの脱出については、ギアーツ、デンジン、クリフォード、ホルスタインなどの研究者が格闘しており、その大枠については桜井本の「Ⅱ 社会関係としてのインタビュー」に詳しいが、文化人類学特有の話が多く、いまのわたしには“お腹いっぱい”的な感じ。知っておくべきことだけど。
ここまで考えてみて、「くい込む」という表現だけで済む世界と、ラポールや方法論をめぐる論争をする世界との差異を知る。そんなことをあれこれ考えていると、ジャーナリストが軽々と「研究」に足を踏み入れるのは難しそうだし、社会学者がジャーナリスティックな「取材」ばかりしていると首をかしげられるのかな、などと思ったりする。(続く)
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