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2008年12月24日 (水)

『リダクテッド』と疑似環境

PublicopinionRedactedposter07デ・パルマ監督の『リダクテッド 真実の価値』を観て、W.リップマンが『世論』で提起した「疑似環境 pseudo-environment 」という単語を思い出した。マスメディアを通じて得られるわたしたちの認識は誤解や無理解、ステレオタイプに満ちているという古典的な理論である。イラクで繰り広げられている数々の事件や犯罪から政策や戦略の決定まで、すべてを正確に把握し理解しているのは神のみ。人間ひとりの視野には限界もあれば盲点もあり、それぞれが置かれた立場によって、異なる像が見えている。この映画は、そうした戦争への認識論やプロパガンダ、マスメディアの効果などを考えるうえで示唆に富む。

ブライアン・デ・デパルマ監督 『リダクテッド 真実の価値』 (原題: Reducted, 2007、米・カナダ)
W.リップマン 『世論〈上〉』 掛川 トミ子訳、岩波文庫

正確を期すため『社会学事典』(弘文堂)をみると、「環境は外界の諸客体に、主体が何らかの関係をもつことによって有意味的に構成されるが、人間の生活空間の拡大に伴って、人々が直接に体験する環境ではなく、マス・メディアなどが媒介するシンボルを素材とする環境についてのイメージが形成されるようになる。これを疑似環境という」と説明されている。巧みにシンボル操作をするのが宣伝やプロパガンダの目的で、わたしたちは恒常的なシンボル闘争が行われている情報世界を生きているわけだ。

さて本題。『リダクテッド 真実の価値』は、イラクのサマラに駐屯する一部の米兵たちが15歳のイラク人少女をレイプし、殺害し、遺体を焼いたという事件を伝える疑似ドキュメンタリーである。モデルとされる事件はいくつかあり(Mahmudiyah killings など)、根も葉もないでっち上げではない。映画としてはフィクションだだけど、細部は真実を基にしているということが宣言される。

作品はいくつもの映像素材で構成されている。兵士が撮ったビデオテープ。フランスのテレビ記者や、アラビア語のテレビ記者たちのレポート。兵士の妻たちのネット動画。米兵の首を切り落とすジハード動画。米軍の兵士監視用のビデオ。それら放つ象徴が組み合わさり、統一した一つの世界を構成している。ただ、この映画では主流マスメディアのニュース報道ふうの映像は一切含まれていない。そこにデ・パルマの政治的メッセージが込められている。

いわゆる映画論や映画を読み解く文法については門外漢なので分からないが(本作の評価は低いかも知れないが)、社会とメディアを考えるうえでの論点をいくつも提示してくれている点で、わたしは優れた作品だと思う。最大の問いだと思うのは、NYTやCNNあるいはFOXなど主流マスメディアが伝える「事実」と、すでにネット等で出回っている「事実」との相克を真正面から取り上げていることだ。かつての戦争では戦場カメラマンが現地の悲惨さを伝える媒介となったが、今日の戦争では前線の米兵自身がデジカメやDVCで撮影した動画がYoutubeで流れている。それは米軍と闘う勢力も同じで、米兵の残虐行為を示す動画や写真の類は、いつでもわたしたちのPCのディスプレーに呼び出せる。技術のインパクトと膨大な情報のなかで、主体的な判断者となることの困難さを思い知らされる。

古典的な倫理問題も問われている。検問所で車を止めなかったイラク人の乗用車を銃撃し、妊婦と胎児を殺害した一件について、兵士たちが手続き的な正当性と、規範的な正義概念をもとに議論する場面がある。イラクの人々の識字率(5割)を考えれば、アラビア語で警告サインを表示してもあまり意味がない。しかし警告を「無視」した車は銃撃する必要がある。無辜の民を殺したとしても兵士たちは罪には問われない。だが、それはキリスト教的世界の正義概念と整合するはずもなく、心を病む兵士も後を絶たない。そうした分析的な言説は(この映画も含めて)相当に出回っているのに、政治的に糾合された運動へとつながらない。反戦プロパガンダとして情報だけが次々と消費されていく。

デ・パルマ監督は非人道的犯罪を告発することで反戦のプロパガンダを達成しようとしたのかもしれないが、社会と情報をめぐる議論をしていくと、それ以上の意味をもちうるはずだけど、あえてリダクトする人もいる。つまり、こういう映画を観ても「再現フィルムとしては凡作」とか、「演技がへたくそ」とか、「構成があまり」とか、技術論しか語らない評論家気取りの人が相当いるのということだ。わたしたちはそういう時代を生きている。

Mahmudiyah killings (From Wikipedia, the free encyclopedia)

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