くい込み/ラポール(備忘録3)
ヌード・ビーチなどはジェンダー・カテゴリーの典型例なのだが、記者や研究者が属する社会階層によってインタビューイの眼差しも変わってくる。つまらないように思えるかもしれないが、調査者が身に着けているものがやたらケバかったり、話しぶりが礼儀正しかったりすれば、好悪の感情も回答要因になるはず。一般的に「気の毒」とされるような人々を前に、年収1000万円を超えるヤンエグふうエリートが調査者として現れて、高飛車に「質問に答えてくれるかな」と申し込んでも、え"ーーーーっ? という感情を抱くだろう。「「一流」大学の学者」の場合は名刺一枚で相手に緊張をあたえるかもしれないし、「俗っぽい雑誌」の記者の場合は見下されたりしていることが容易に想像される。
そんなふうに考えると、インタビューというのは調査者が被調査者の所有している情報をコピーする(A→情報→B)ではなく、あるテーマについて調査者と被調査者との質疑で起こった相互行為であり(A→構築物←B)、調査者が変われば内容も変わるということになる。桜井さんの言葉を借りると、インタビューは調査者と被調査者による「リアリティの共同構築」(p.139)ということになる。むろん会話を統制し、解釈し、物語化するのは、調査者の側なので、関係の非対称性は揺るがないのだけど。
わたしの研究内容に近づけていえば、金看板を背負った企業のジャーナリストたちは往々にして自らの権力性に無自覚であったり、透明化することが多く、金看板とは対極のスティグマを押しつけられたジャーナリストたちは、そのことに自覚的になりやすく、構築されるラポールも多様なものとなる可能性がある。インタビューの“楽しさ”や“醐味味”を味わうには、やはり後者がよいように思われる。そうしたこともまた、周縁のメディアづくりの困難と喜びに映るのだが、このような眼差し自体が権威的かもしれないことを念頭に置いておく必要がある。
ただ、生身の人間どうしの関係は刻々と変化するので、被調査者が「はじめは恐い人と思ってたけど、案外いい人じゃん」とか、「最初は信頼できると思っていたのに、意外と頼りないなあ」というふうに変わっていくこともよくある。ラポールは固定的なものではなく流動的と考えるべきだろう。研究論文が発表された後、関係が大幅に悪化して、ボコボコにやっつけられたり、訴えられたりすることもあり得る。なので、(備忘録1)でも触れたことだが、やはり誠実さと、ある程度の緊張関係の保持は重要ということだ。
単純化していえば、とどのつまり、最後は人間ということになるのかな。インタビューの作法をよくわきまえ、方法論に自覚的であることが前提であり、そのうえで、人柄がよくてやさしくて誠実で権威的ではなく、自らを晒すことに躊躇しない、そんな全人格的に評価できる調査者が、とりあえず良い仕事をするだろうということになる。それって結局、スーパーマンなので、わたしのような凡人にはハードルが高くなりすぎる。
今日のマスメディアで働く企業ジャーナリストは19世紀的な世界の住人と評される。しかし、嗅覚を研ぎ澄ましたハンターのように効率的に言質を取ったりする能力は低くない。学者にはない“腕力”を持つ人も少なくなく、ジャーナリストとアカデミシャンのどちらが偉いとか、どちらがバカかということを一刀両断する必要はない。ラポールとくい込みの差ということになる。ただ、周縁のジャーナリストで手法に自覚的な人は新しい領域を開拓する可能性を秘めているようにも思われる。例を挙げれば、古いところではカポーティのような人がそうだし、日本でも藤原新也さんや沢木耕太郎さんなどは典型だろう。玉木正之さんもしかり。そんな有名な人たちだけではなく、拙著『新聞再生-コミュニティからの挑戦』(平凡社新書)で書かせていただいた神奈川、鹿児島、滋賀のみなさんにもあてはまるような気がする。
(このテーマは終わりそうないので、ここでいったん打ち切ります。みなさん、良いお年を)
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