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2008年12月29日 (月)

くい込み/ラポール(備忘録1)

Sakuraiatushi社会学者の中には自分たちの調査のことを「取材」と言う人が少なくない。ジャーナリストのなかには「おまえらのは『学術調査』で取材じゃない」という人もいるようだが、良くも悪くも両者は似たような営みをしているといえる。社会学のインタビュー作法の教科書を読んでいると必ず登場するのが「ラポール」をめぐる議論や、似田貝-中野論争である。これがジャーナリズムの世界で意識されないのは、ジャーナリストはグズグズ考える前に足腰が動いてしまうからだろう。

桜井厚 (2002=2005) 『インタビューの社会学―ライフストーリーの聞き方』せりか書房

ある組織や人物から情報を取ってくるジャーナリストは「くい込んでいる」などと言われる。民主党にくい込んでいる政治記者とか、ゲリラ組織にくい込んでいる戦場記者とか、経団連にくい込んでいる経済記者とか。情報が取れないジャーナリストは「キミはくい込みが足りないんだよ」などと叱られる。信頼関係を構築できなければ良い記事も書けず、優れたリポートはできない。

社会調査をする学者たちも調査対象との間で信頼関係を必要とする。ある一群の人たちを対象に聞き取り調査をする場合、彼ら彼女らから憎まれていたり、あるいは、対価として何かを要求されていたりすると、よい調査はできない。社会学者たちもくい込まなければならないのだが、学者たちはそのような下品な言葉を使わず、信頼関係を「ラポール」と呼ぶ。フランス語の rapport 。日本語で「親密な関係、調和、信頼感」とされる(わざわざフランス語なんか使うなよ、と思うが)。

ただ、社会調査においては、ラポールは適度なものがよいとされてきた。過度な信頼関係=ベタベタな一体感=は、調査結果の客観性を損なう危険性があるからだ。こうした状態を「オーバー・ラポール」と呼ぶ(英仏混合語?)。ジャーナリストもくい込みすぎると癒着する危険性が生じるが、オーバー・ラポールというようなハイカラな言葉は見当たらない。くい込みすぎというと、なんか痛そう。

さて、似田貝-中野論争は、ともに「ラポール」というものの危うさを認識した2人が観念的な意見を交わしたもので、互いに罵り合ったわけでは勿論ない。住民運動などの調査で有名な地域社会学者・似田貝香門(にたがいかもん)先生は、それまでの一般的な「ラポール関係」は見せかけの人間関係に陥ることがあるので、それに代わって研究者と対象の《共同行為》という調査方法論を示した(桜井 2002=2005:66)。これに対し、ライフヒストリーやフィールドワークで成果をあげてき社会学者の中野卓先生もこの問題の厄介さを踏まえたうえで、やはり「適切なラポール」を求めることを放棄して《共同行為》に方向転換することは安易ではないかと表明した。

それがラポールであろうと、くい込みであろうと、方法論的に真摯な問いであることは間違いない。取材であれば、あまりくごちゃごちゃ考えずに現場に通い詰めるのだけど、「研究」の二文字を掲げたら最後、調査のパラダイムをデザインする必要があり、そのための方法論を明確にする必要に迫られる。学術調査、客観報道の仮面をかぶった個人的な主張をする学者やジャーナリストは困りものだけど、この問題にこだわりはじめると、なかなか抜け出せない。(続く)

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