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2009年1月31日 (土)

『グレート・ギャツビー』の機能と構造

Gatsby小説を機能面と構造面から考えると、読み手感情や思考を揺さぶるストーリーの力が機能で、物語の状況設定や読者に示す世界観が構造ということになる。たとえば『グレート・ギャツビー』の場合、水呑百姓の小倅が危ない橋を渡りながらも富を築き、憧れの女性に求愛するというドキドキする描写が機能。そして貧民層と富裕層の差別ゆえに社会階層を超えた結婚が困難という世界像の設定が構造ということになろう。……むろん暴論ですけど。

F・スコット・フィッツジェラルド、野崎孝訳 『グレート・ギャツビー』 新潮文庫、1989
F・スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳 『グレート・ギャツビー』 中央公論新社、2006

機能と構造から社会を読み解くといえば、タルコット・パーソンズのシステム理論があり、ニクラス・ルーマンがそれをさらに発展させた。わたしはルーマンを数冊読んだ程度の半可通にすぎず、そのようなグランド・セオリーを小説に当てはめるなどという暴挙をするつもりはないし、そもそも無理だと分かっているが、どうもわたしは昔から小悦や映画を鑑賞するときに機能と同等に構造に注目してきたようである。

フィッツジェラルドはヘミングウェイやフォークナーらとともに「失われた世代(ロスト・ジェネレイション)」作家と称される。彼らが活躍したのは大恐慌直前のアメリカで、当時の社会的な風潮がロスジェネ作家たちをして、社会の構造を批判せしめたといえるのではないか。

『グレート・ギャッツビー』の場合、家柄と学歴と財産がない青年ギャッツが、財産だけを築き、謎めいたギャッツビーという名の紳士に変身する。もしや、欧州貴族の末裔ではないかという噂まで流れる。しかし、求愛相手の夫から、家柄と学歴を欠くことや、ヤクザな商売をしていることを暴かれ罵られる。ギャッツビーが全身全霊傾け愛した女性は、結局、たとえ浮気性で差別者であっても家柄も学歴も財産の三拍子そろった夫の元へ戻る。

ギャッツビーの前に立ちはだかる排除と抑圧の壁。そうした社会構造に対しフィッツジェラルドが感じていたであろう憤りを、今日の日本の読者も共有しうる。しかし、映画や小説のなかの構造は機能に比べて意識されることはすくない。そしてそれでよいのだと思う。読後、なにかもやもやしたものが残り、それを契機にいろんなことを考えさせてくれるのが良い作品だからだ。

ところで、『ギャッツビー』の解説で、フィッツジェラルドがThe Great Gatsby というタイトルに不満を持っていたことが紹介されているが、わたしもギャッツビーに「グレート」とか「華麗なる」とかいう言葉を冠するのは、どうもしっくりこない。いいタイトルはないだろうか。

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