『こわれゆく女』をフーコーで読み解く(!)
何げなくテレビを点けたとき、思わぬ傑作と出合うことがある。ジョン・カサヴェテス監督『こわれゆく女』も、わたしにとってそんな作品であった。夫と3人の子供がいる冴えない中年の女性(ジーナ・ローランズ)が終始異様なテンションで周囲を困らせ続け、141 分があっという間に過ぎた。観終わったあと、脳内で電球が光り、『狂気の歴史』がおぼろげに浮かび上がった。「おぼろげ」の理由は後述する。
ジョン・カサヴェテス監督 『こわれゆく女』 (原題: A Woman Under the Influence , 1974, 米)
M.フーコー (1975) 『狂気の歴史』 田村俶訳, 新潮社
この映画は、主人公を演じるジーナ・ローランズの怪演が突出して目を引くが、「狂気」ゆえに彼女には感情移入できない。夫役のピーター・フォークも途中から「狂気」じみた行動をするようになり、漫然と見始めた者(わたし)には、なんとも居心地が悪いものだった。3人の子供や夫婦の親たちが不憫でならない気がした。だけど、安易に同情する余裕は与えられない。他者の家族の不幸という本来なら見てはいけない親密圏をのぞき見しているような罪の意識にとらわれ続けたためだろう。
フーコーによれば、わたしたちが「狂気」と呼ぶものは、かつては神聖性を帯び、理性を越えたものとされていた。ルネサンス期においても、狂気は理性の及ばないところを補うような相補性があった。しかし、18世紀末になると、狂気のオーラが消え、治療の対象(病気)とされた。つまり、科学や医療を持ち出して、理性が狂気をより巧妙に抑圧しているのではないか、ということだ。そんなフーコーの言説をつまみ食いしてこの作品を考えると、ほんとうの主役は狂気=ローランズの側ではなく、理性=ピーター・フォークをはじめとした脇役たちであって、彼ら彼女らの脆弱性や権力性をあぶり出しているような気がする。そのことが意識されないため、なんともいえない居心地の悪さがただよう。
そんな見方を補強してくれるのは、近代的理性がまだ完成していない(規律訓練されていない)子どもらが、母親に偏見を抱いていないこと。「正常」なはずの父親から殴られ仰向けに倒れた母親を守ろうとする場面が象徴的。もう一点。狂気の妻と理性の夫がふたりきりになったとき、2人が調和してしまう場面がある。他者のまなざしがなくなり、2人だけになったとき夫婦で協力し合って食卓を片付ける。この穏やかな場面にグサリときた。理性的な第三者に言わせれば、暴力と愛情が混在する2人の関係は「共依存」などと呼ばれる危険なものかもしれない。だが、共依存を厳しく指弾する近代的な理性こそが、共依存を生産している犯人なのではないかと感じさせる。そこにこの映画のすごみがある。
映画の原題は A Woman Under the Influence で、「こわれゆく女」という邦題はなんとも皮相的。under the influence (of ~) は、~のために理性を欠いている状態や、~が効いている/影響下にあるというような意味で、of 以降が省略されているため抽象性が高い。この映画を指して「こわれゆく女」の愛と苦悩の物語という見方もなりたつかもしれないが、底流にあるものはもっと大きいもののような気がする。でなければ、こんなに後を引かない。いずれにしても、大当たりの映画だった。
最後に種明かし。冒頭で、「『狂気の歴史』がおぼろげに浮かび上がった」と書いたが、わたしは『狂気の歴史』を読んでいない。入門書や解説書は何冊か読んだことがあり、大学の講義で丁寧に解説してもらったことがある。なので、読まずして、さも分かったような口がきけるわけだけど、種明かしをせずに最後の最後まで「そんなの中学生のころに読んだよ」などと言い張る人が世の中にはいて、そんな虚仮威しのセリフにビビったり、傷ついたりする人も少なくない。アカデミズムは権力的だなあと思う。
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