『アラバマ物語』は法より隣人愛
『十二人の怒れる男』と対照的な法廷映画『アラバマ物語』をようやく観た。宿直勤務明けで脳は不活発だったが、ぐいぐい引き込まれた。素人ながら、わたしが観た法廷映画の最高傑作の部類に入ると思う。『十二人』と同じく、『アラバマ』も被告人が被差別の少数者。予断と偏見に基づいた冤罪であり、有罪にしてはならない。『十二人』の陪審員は被告を無罪とし、わたしたちをスッキリさせてくれるが、『アラバマ』の陪審員がわずか2時間で下した判決は有罪。共同体主義の負の側面「多数者の専制」に対し、ヤモメ弁護士が立ち向かう姿にグっとくる。
アラン・パクラ製作, ロバート・マリガン監督 『アラバマ物語』 (原題: To Kill a Mockingbird ,1962, 米)
『十二人』は都市に暮らす12人の陪審が主人公。当初はみんな裁判なんて興味がなく、さっさと決を採って解放されたいと願う。だが、一人の勇気ある男が疑問を呈したのをきかっけに、最終的には全員が私利を離れて公的な問題を真剣に討議し、その過程で公民の徳 (civic virtue) が陶冶されていく。そればかりか、映画を観る者に「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を教育してくれるという理想的な作品である。ただし、この物語があまりに理想的で、現実味に欠けるという批判が強い。(だからこそ、ニキータ・ミハルコフはロシア版の『12人の怒れる男』で賛否はあるが、法を超える価値として慈悲なるものを示した)
一方の『アラバマ物語』は南部アラバマ州の貧しい田舎街が舞台。主人公はグレゴリー・ペック演じる弁護士アティクス・フィンチで、陪審員はほんの少ししか登場しない。フィンチは事件が冤罪であることをサルでもわかるように立証し、真犯人まで示してみせる。完璧な弁護なのに、陪審が下した結論は有罪。そればかりか、フィンチは黒人を弁護したという理由で罵倒され、唾を吐きかけられ、息子の腕の骨まで折られる。法の素人である陪審員にフィンチ並みの勇気を求めるのは酷なのだ。共同体主義 communitarianism にはよい部分がたくさんあるが、多数の専制は差別や偏見によって最も醜悪な側面を見せる。
あまり書きすぎると「ネタバレ」の叱りを受けそうだが、大勢の人が高く評価した歴史的な名作なので、もうすこしだけ。
フィンチは普遍主義的な正義と公正さを求めるリベラルな人物だが、多数者の専制のまえで無力な存在で、ひとりの悩める父にすぎない。彼は子に向かって語る。世の中それほど単純ではないのだ。噛んで含めるようにそう伝える。人間は不合理な生き物だし、社会は不条理に満ちている。そんな事実をありのまま受け入れつつ、だからといって絶望したり諦めたりしてはいけない、というメッセージを発する。
さらに、もう一つ、輻輳的に流れるメッセージがある。それは隣人への愛、弱者への愛。フィンチは最後の場面で、わが息子を救うために人を殺した障害者の犯罪を隠蔽する。そんなフィンチの行動は不合理だし、不正義だけど、彼はあきらかに共同体に善をもたらそうとしている。彼は根無し草や風来坊ではなく、アラバマの田舎街で男手ひとつで子供を育てる平凡な父。彼のかざらない日常にこそ共同体に共通する善をもたらす契機がある。フィンチは、彼に無学と貧困のためマイノリティへの憎悪をかき立てられる連中よりは知的であるが、彼もまた共同体の一員である。そこに映画の原題 To Kill a Mockingbird の寓話がピリっと効く。
『十二人の怒れる男』がリベラリズムや正義を知る格好の都市型映画だとすれば、『アラバマ物語』は田舎のコミュニティに現れる光と影が見える素晴らしい作品。深みや問いかけているものの重みは『アラバマ物語』のほうが現実味を帯び、観る者を揺さぶると思う。
有名な箇所を引用する。
One time he said you never really know a man until you stand in his shoes and walk around in them. Just standing on the Radley porch was enough.
“Remember it's a sin to kill a mockingbird.” That was the only time I ever heard Atticus say it was a sin to do something, and I asked Miss Maudie about it. “Your father's right,” she said. “Mockingbirds don't do one thing but make music for us to enjoy . . . but sing their hearts out for us. That's why it's a sin to kill a mockingbird.”
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