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2009年4月27日 (月)

バッシング現象の不思議

HatoyamaSMAPの草なぎ剛氏が公然わいせつ容疑で逮捕されたが、いわゆる「バッシング」が起こったように見えない。むしろ、彼を「最低の人間」と悪罵した鳩山総務大臣への反発に大臣が謝罪したくらいだ。民主党代表秘書が逮捕されたときも、苛烈なバッシングは起こったように映らない。バッシングせよと言っているのではない。むしろ逆で、わたしはヒステリー状態を心の底から嫌悪している。

総務相「最低の人間」発言を撤回 草なぎ容疑者逮捕で (47news 2009/04/24 11:27)

定義も曖昧なまま議論をするのは危険だし、ここで正確なことは言えないが、特定の話題について、(a)テレビや新聞メディアによる集中的な報道、(b)雑誌メディアによる集中的な報道、(c)放送メディアの非報道部門で繰り返し話題になる、(d)個人のブログやBBSでの話題が集中する、(e)高い率で人々の日常会話にのぼる、(f)「緊急出版」などの帯が付いた本が書店に並ぶ、(g)抗議の電話、ファクス、手紙類が殺到する、(h)企業がマスメディアのスポンサーを取りやめる――などの現象がいくつか生じ、かつ、流通する言説内容が特定の個人や集団に打撃をもたらすものだとひとまずしておこう。

近年のバッシング現象と思われるものとして思い付くのは、とくに北朝鮮関連だが、(a)から(g)まで当てはまるように思う。国家もメディアも市民層もほとんど同じ方向を向いているというのがわたしの印象だ。先週、最高裁判決が出された和歌山の毒物カレー事件(1998年)も、当初はすさまじかった。さらに古いところでは、オウム真理教事件がある。ちなみに、このときは右も左も、老いも若きも、男も女も、官も民も業も報も市民層も、すべてが一つになってオウムを叩いた。私はオウム真理教とは縁がなかったが、このときほど日本で暮らすのが恐いと思ったことはない。あと、バッシングといえばイラク日本人人質事件(2004年)があるが、このときは(a)~(e)までが起こっており、(f)も(g)もあったとように記憶する。被害者を罵る人が多く、悲しかった。

女性歌手の「腐った羊水」発言(2008年)では、(c)や(d)が見られ、歌手がすぐに謝罪したためバッシングが拡大することはなかった。記者会見で人気女優がコメントを求められた際に「べつに」と答えたときも、女優が謝罪し、短期間で終息した。毒舌で名をはせたプロ野球チームの監督夫人の場合、選挙に立候補したときの学歴をめぐる疑義(1999年)が浮上したあたりから、(b)~(f)に加えて、資生堂が日本テレビ『おしゃれカンケイ』のスポンサーを辞退し、(h)が見られた。

一方、麻生総理の漢字の誤読については、(a)~(c)は見られたものの、(d)では反マスメディアや首相に対する同情論も見られ、一億総バッシングとはなっていない。しかし、森喜朗元首相(2000年就任)の場合は支持率が5%台に落ち込むなど、総たたき現象だったと記憶する。

少ないサンプルで、しかも思い付きで書いている不正確のそしりを免れない。ほかにも、新党大地党首や3兄弟のボクサー一家、ライブドア元社長、あるいは性や国籍・民族などのマイノリティ集団に対するものもある。なので、現状、印象論であることをおことわりしたうえで言えば、バッシング現象は単なる怒りと恐怖の増大が制御できないまでに自己増殖した結果のように思われる。

対応策を考えるに、バッシングが始まる気配が感じられたら、真っ先にメディアを通じて涙の謝罪をするのが得策だろう。怒りが沸騰する前に、人々の感情を快復させる。これにつきる。それをみごとに実践したのは、芸能プロの女性社員を殴りけがを負わせたとされる男性タレントだ。彼は記者会見をして「100対0で僕が悪い」、「被害者が芸能界を辞めろと言うなら辞める」といって泣きじゃくった。被害者の女性はPTSDになり会社を去ったと伝えられるが、加害者のタレントはしばらく謹慎した後、法律バラエティ番組の司会に復帰した。もう誰も事件を口にしないし、忘れている。「メディアトレーニング」の教科書を見るような実践であった。

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コメント

 自分が「バッシング」に加担(することは実際はないでしょうが)あるいは、意識のあるなしにかかわらず同調しているかどうかを確認する訓練が必要ですね。メディアが連日流す膨大なバッシングの素を見抜く力って、メディアリテラシーのジャンルになるんでしょうか。
 自分の胸に手を当てて考えると、例示のうち「オウム」と「森喜朗」ケースではバッシングの同調者同様でありました。わたしが同調者同然だった理由を考えると(1)「オウム」ケースはメディアを通じて得られる情報がほとんどなかった。恥ずかしながらその存在自体を初めて知った。メディアの情報をゼロから受容したわけです。(2)「森喜朗」ケースでは、若干の関連情報を本質的な要素として抱えていた-という具合になります。
 仕事柄もあるでしょうか、みんなが同じことを言うときは自然に黄色信号がともるぐらいのレッスンはできていると自分では思っています。それでもバッシングの同調者になってしまう。メディアの態度に問題があるのか、受容のメカニズム自体に分岐欠損なのが問題なのか、本質的に受け手の意識限界なのか、全部が複合するのか・・。うーん、やはりわたしの手には余ります。

投稿: schmidt | 2009年4月28日 (火) 11時26分

すみません。訂正させてください。

誤(1)「オウム」ケースはメディアを通じて得られる情報がほとんどなかった。
正(1)「オウム」ケースはメディアを通じて得られる情報しかなかった。

投稿: schmidt | 2009年4月28日 (火) 16時44分

>schmidtさん
 黄信号が点っていますよ、というのは勇気が要りますよね。変人扱いされるくらいならまだ良いのですが、生命や財産に被害が及ぶ可能性が出てきたら、わかっちゃいるけど右にならえになりますよね。そんなリスクを背負えるかどうか。独りでも声を上げつづけられるか。むむむ。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年4月28日 (火) 22時52分

はじめまして。通りすがりの某大学2年・情報学環教育部1年目の人間です。面白くこのブログ読ませていただきます。挨拶代わりに。

バッシングは、「コモンセンス」に乗っかっていれば安心できるというコミュニケーション上のストレスの発散が、そのレールから逸脱した・もしくはそのように表現された人間や団体に一気に向けられるってことでしょうか?

などと、生半可な知識で意見してみます。

投稿: takofu-mi | 2009年5月 1日 (金) 00時08分

takofu-miさん
 コメントをありがとうございました。教育部ということでしたら、きっと何度もすれ違っていますね。
 バッシングについては、わたしもよく分かっていないのですよ。おっしゃるとおり「安心」というのはキーワードかもしれませんね。先陣切ってバッシングするのは、北野誠の例を持ち出すまでもなく、たいへん大きなリスクを伴いますが、「みんな」がやっていれば「安心」かもしれないですね。
 こうした現象を分析した社会心理の論文はあると思うのですが、私の手に余ります。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年5月 1日 (金) 08時06分

第4の権力のお祭りでしょ?って言ったら怒られるますか?
だとしたら、つねってくれたまえ。

投稿: @ | 2009年5月 1日 (金) 18時51分

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