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2009年6月10日 (水)

悪ガキ世界の住人

大阪で母親の三回忌を済ませ、京都で学会に参加した後、幼なじみと一時間あまりお茶を飲み歓談した。たがいに年を重ね、三十数年ぶりの再開。待ち合わせの喫茶店で一目見たとき、瞬時に彼女だと分かった。話をしていてしみじみ感じたのは、わたしたちは、それなりに厳しい環境を生き抜いてきたということ。ひとことでいえば、わたしたちも悪ガキ世界の住人だったのである。

ヨイトマケの唄 - Wikipedia
YouTube - 中村美律子 - 「ヨイトマケの唄」

わたしたちが育った地域の一角にバラック街があった。わたしたちはそこを「ハマ」と呼んでいた。ひとたび川が増水すればすぐに床上浸水になる河川敷に、人々が肩を寄せ合うように暮らしていた。行政の視点でみれば不法占拠。俗に「ゼロ番地」と呼ばれる地域に共通するキーワードを挙げれば、貧困・犯罪・暴力などの単語が次々浮上する。「ハマに行ったらあかん」「ハマの子と遊んだらあかん」と言う大人たちが少なくなかった。

だが、わたしも、幼なじみの彼女も、ハマには友だちがたくさんいて、たびたび遊びに行っていた。大人たちが視界から消そうとしていたハマの暮らしを、わたしたちは子供なりに正視していたように思う。ただ、ゼロ番地地帯の人々がよく子供たちに「あんたらご飯食べたか?」と問う理由――すなわち相互扶助の紐帯を切実に必要としていた理由を知るには、いくぶん時間がかかった。

わたしも幼なじみの彼女も、貧困や暴力はマスメディアを通して垣間見る異世界ではなく、じぶんたちの生活の一部だった。たしかに「ハマ」は都市スラムの典型だったかもしれないが、ハマのすぐ外側が対照的に裕福な土地であったかといえば、まったくそうではなく、貧困や犯罪はハマの内と外の区別なく存在していた。ハマの外側で暮らしていたクラスメートのほうがむしろ高い比率でアウトローになったように思う。

三十数年ぶりの会話の中心は、やはり同級生の話題。少年院から闇世界に進んだり、親の跡を継いでチンピラになったり、事業に失敗して首をくくったり、若くしてバイク事故で死んだり、新興宗教に人生を捧げたり……。「あいつは悪いヤツやったなあ」「彼もそうとうな悪ガキやった」などと談笑しながら、ともに同じ時代を同じ地域で生きた戦友のような気持ちを、幼なじみと共有した。

帰りの新幹線で、iPodに入れた「ヨイトマケの唄」を聴いた。「なんどか僕も、ぐれかけたけど、やくざな道は、踏まずにすんだ」という箇所で、心がヒリヒリした。

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コメント

今の暴力の目的が純粋(?)であればよい的な発想とは違うのよね。
わたし流行のなんちゃって不良映画なんて大きらいですもん。

過酷な状況でも、生きてる丸ごとがそこにあったから別に怖くもなかったし友だちであれたのよ。まぁ小学生、中学生の頃の悪さはまだ迷いも有るしね。それでも本格的な暴力に巻き込まれそうになったときには助けてもらったことも何度かあります。
そしてその度に説教されるのよ。こんな世界を知るべきじゃないと。ただのやんちゃさんがほとんどだったけれど随分大人びた子も居たよね。

特別に考えた事もなく、一緒に遊んで喧嘩していたずらして、しかられて・・・そんな平凡で平和な時間がとっても特別に感じられるほど、実は荒れてた空間やったんや?と気がついたのは、高校でそれまでとは違う空間に行ってからかな。それからずっと心にひっかかってたみんなの近況が、ハタさんから少し聞けて良かったわ。ありがとう。

あの頃の友だちが、いま会ってほんまもんの極道になってたら、彼らは私たちを友として受け入れてくれるんやろか?なんて時々考える。でも会える事があるなら会って懐かしがって笑って話したい。私たちが懐かしく思い続けるように彼らや彼女らにも懐かしく心休まる思い出の時間であってほしい。
苦しい状況は沢山あったと思うけれど、彼らの心にも今もまだ人と人、お互いの繋がりを大事にする気持ちが残ってる事を祈ります。
でもねあの時代とあの生活を乗り越えた、ハマの人たちは苦労はしててもまっとうに暮らしてると思うのよ。心配なのは2代目さんたち?よね、ホント(笑)

まだまだ話したい事もありますが、またいつかお会いできる日を楽しみにしています。お元気でね〜。

投稿: かのう | 2009年6月13日 (土) 17時27分

>かのうさん
 こんばんは。先日はどうもありがとうございました。
 そう、そう。ぼくも生まれ育った環境を外から眺めることができたのは、高校生になってからです。ぼくが通った高校は、大きなお屋敷がいくつもある「山の手」にあって、幼いころからピアノやバイオリンの個人レッスンを受けていたような少年もいました。この差はなんだろう、と思った。
 かっこいい言葉で言えば「越境者」です。以来、わたしの「越境」状態は続き、現在に至りますが、わたしの視線はじぶんを育んだ環境に向き続けていて、アイデンテティはつねに股裂きのままです。
 極道と化した幼なじみたちと再会したいと思うこともありますが、彼らはわたしたちと再会したいと思っているのかなと思うと、すこし心配でもあります。
 そちら方面に行くことがあれば、また連絡します。こちら方面にこられることがあれば、ご一報ください。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年6月13日 (土) 21時51分

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