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2009年7月 7日 (火)

『差別と日本人』はexcitable

Sabetsu_nihonjin差別にまつわる本を手にしたのは久しぶりで、カラカラに乾いていたスポンジがふたたび水を吸い込んでいくような感覚にとらわれた。わたしが記者として被差別部落と在日朝鮮人を対象としたのは(野中さんの故郷でもある)京都においてであった。広島で働いていたころも無縁ではなかったけれど被爆地には別の大きなテーマがあった。東京で暮らすようになって間もないころには、東日本部落解放研究所での自主的な勉強会にもちょいちょい参加させてもらっていた。ただ、わたしはどこまでいっても「足を踏みつけている側」の人間であった。

辛淑玉、野中広務『差別と日本人』(角川oneテーマ新書、2009)

差別問題を取材していたとき、常に意識させられてきたのは当事者性だった。表現内容が同じであっても、表現者が被差別者である場合と、そうでない場合とでは説得力にも差がある。当時はじぶんなりに考えを整理していたつもりであったが、別の角度から表現(発話)の問題を整理して考えさせてくれたのは、ジュディス・バトラーの『触発する言葉』(原題:Excitable Speech: A Politics of the Performative)であった。

バトラーはJ.L.オースティンの語用論をめぐる議論を踏まえ、ジェンダー研究を進めた。わたしはオースティンをきちんと読みこんだわけではないので自信がないが、簡単にいえば「発話」という行為は3つの次元に分けられる。1つは、その発話内容そのもの。これを発話行為という(そのままですね)。次にその発話が含意する行為としての「発話内行為」があり、さらに、その「発話内行為」が副次的に引き起こす行為が「発話媒介行為」だという。たとえば、ヤクザが「南港の水は冷たいで」という発話をする場合は、以下のようになる。

発話内容:「南港の水は冷たいで」
発話行為:  南港の水温が低いという事実を発っする行為
発話内行為: おまえが南港の冷たい水に沈められることを想像してみろ、と脅す行為
発話媒介行為:その結果、脅された人がヤクザに向かってわたしを沈めないでくださいと命乞いをする行為
(発話内行為と発話媒介行為の違いが難解ですので、もし間違っていれば、ご指摘ください)

バトラーは発話内行為や発話媒介行為がどのように影響するかについてジェンダーの視点から追求したのだが、それはさておく。とにかく、それでもわたしが重要だと思うのは、上記の例における話者が「やくざ」であり、それが行為遂行性に大きく影響しているということだ。もし仮に、話者が小学校の先生で、聞き手が児童であったとすれば、発話内行為は別の意味をもつ。ようするに、話者と聞き手の関係性を理解しない限り、それが意味するものは理解できない。

『差別と日本人』における話者は、著名な人材コンサルタントで在日朝鮮人の辛淑玉と、官房長官や自民党幹事長を務め、被差別部落出身者であることをカミングアウトした野中広務。二人とも激しい差別を受けてきた被害者であり、痛みを伴って語る言葉に重みや説得力がある。政治的な立場は違うけれど、共通の課題に取り組んできた同志としての連帯感や尊敬の念が行間からにじみ出ている。

[地の文=辛]よく「本音のウヨク、建前のサヨク」という表現がなされる。理想を口にする「革新」の行動様式の二重性を、被差別者は日常的に痛感している。それゆえ、革新を攻撃するには「差別者」というレッテルを貼ることがもっとも効果的であることを熟知していた。(p.101)
[地の文=辛]これは、マジョリティの側には決して理解できない、差別されてきた歴史の上に蓄積された不安である。(p.112)
[辛] もうだんだん耐えられなくなってきちゃって、そしたら私より先に向こうがまいっちゃて。そのとき思ったのね、人権は好きだけど当事者と一緒に生きることはできないんだなって。
[野中] ああ、ね。
[辛] 人権は好きだけど、当事者が嫌いな人はいっぱいいる。当事者と一緒に生きるっていうのはものすごく大変なことで。だから私、野中さんより寂しい人生ですよ(笑)。(pp.194-195)
[地の文=野中]私も差別されてきた体験とそれと闘ってきた体験を持つだけに、彼女の気持ちが痛いほどわかり、思わず言葉を詰まらせた。心と心、魂が触れあうような気がした。(p.199)

いわゆるマイノリティの問題に積極的に関わろうとするとき、多数者の一部は、少数者の“痛み”が心底理解できないことで低位のヒエラルキーに置かれる。「アンタら、わかったふうなクチをきくけど、差別の本当の痛みは当事者じゃないと分からないんだよ」という言葉の前で、オロオロするところからスタートする。信頼関係を構築したあとも、なにかの拍子に誤解されて「やっぱりあんたも差別者だね」と烙印を押されたら、信頼回復は困難を極める。かつて藤田敬一先生がおっしゃっていた「両側から越える」という指針は理念としてはよくわかるが、容易ではない。

久しぶりに読んだ差別にまつわる被差別者の発言の数々は、いろんな意味で、excitableであり、performativeだった。いつか、マスメディア・ジャーナリズムと差別問題の研究に踏みだしてみたいと思わせてくれた。


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コメント

難しいですね、差別の問題は。
被差別部落に生まれ、必死で闘っていたある人が、同じ運動の仲間どうしの意見の相違から攻撃を受け(つまりは差別され)、つらい思いをしているという話を、以前、東北に住む友人から聞いたことがあります。差別がさらに差別を生んでいくという構造。これがやっかいです。

野中広務という人にはいいイメージがありませんが(「漢字が読めない、典型的な政治家」と思ってました。いまの総理大臣以上に)、これはぜひ一読せねば。

投稿: meitei | 2009年7月 8日 (水) 15時01分

>meiteiさま
 ほんとうに難しいですね。
 差別をめぐる問題は、とりもなおさず差別する側の問題であり、それを許容する社会の問題---なので、じぶんだけ「客観的」な立場に立って「他人事」のように語ることができない。しんどいです。
 重苦しいテーマにもかかわらず、どこかカラっとした爽やかな対談になっているのは、辛さんの明るさと野中さんの懐の深さに負うところが大きいのだと思います。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年7月 8日 (水) 20時29分

 読みました!なるほどすごいですね。

 といっても、わたしも「足を踏んでいる」事実は動かしようがないです。今後、生きていくうえで、自分なりになんとかしたいと思います。

 野中広務氏は、他の自民党の政治家とは「少し違う」と感じてきました。その理由が、断片的にではなく、ひとつながりで見えるあたりがとても面白かった。

投稿: schmidt | 2009年7月 9日 (木) 22時28分

>schmidtさん
 ふらっとの「ホンとのトコロ」で採り上げられる本でしょうか?SNS向きだと思うのですが、いかがでしょう。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年7月 9日 (木) 22時51分

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