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2009年8月 3日 (月)

『JUNO』と包摂とソーシャルキャピタル

Juno2_large望まない妊娠をしてしまった16歳の高校生を主人公としたインディーズ系映画は、終始あっけらかんとした幸福感に包まれている。なぜか。その理由は、主人公ジュノが自己否定的な逡巡をしたり、周囲に対して疑心暗鬼になったりしないこと。そして、納得できる決断を重ねていく少女を、周りの人々がありのまま受け入れていくこと。宮台真司さんが多用する言葉を使えば〈包摂性〉の高い社会。パトナムの言葉でいえば、ソーシャルキャピタルがしっかりしているってことじゃないか。つまり、「汚れちまった悲しみ」(中原中也)を背負い続ける恐怖がないのだ。

ジェイソン・ライトマン監督, ディアブロ・コーディ脚本 『JUNO/ジュノ』 (原題: JUNO, 2007年, 米)
Diablo Cody - Wikipedia, the free encyclopedia

この物語は、脚本を書いたディアブロ・コディの個人的体験がベースになっていると言われている。Wikipedia(en)によれば、コーディは、"Pussy Ranch" と題したブログや2006年に著した個人録『キャンディ・ガール: ありそうもないストリッパーの1年間 (Candy Girl: A Year in the Life of an Unlikely Stripper) 』で注目され、JUNOの脚本で売れっ子となったという人物。(詳しくはWikipediaでどうぞ)JUNOの底流に流れるカラっとした手触りは、コディの世界観なのだろうか。

ただ、この作品は日本で受け入れられるかというと、けっこう壁があるように思う。(以下はネタバレになるので、ストーリーを知らない人は読まないほうがよい。映画を観た人はどうぞ)

JUNOの思考を単純化していえば、こうなる。あちゃー、デキちゃったよ→育てるのは無理だぜ→堕胎しかないな→いや、やっぱ産むぞ→でも育てるの、無理だよなあ→じゃあ養子に出すっきゃない→いい里親はいねぇか?→よーし、見つかった→これ決まり→さて、養子に出したし、バンドでもやるか……

作中のジュノは、70年代後半のパンクが好きな「ヘン」な娘で、それほど利発なように描かれていない。ジュノの親父は一度結婚に失敗した空調技術者。後妻(ジュノの継母)はネイル・アーティストの仕事に妙なプライドを持っている嫌味な女。付き合っている?カレシもどこか優柔不断なヘナヘナ君。カレシのママは巨体に似合わず心が狭く、ジュノを息子から遠ざけたいと思っている。どの人物をみても短所だらけ。賢者は見つからない。悪人っぽい人や偽善的な人も多少は登場するものの、総じて「人類みな鈍感な凡人」といった感じ。

本作は、「受難者」のひとり、ジュノの飾り気のないあけすけな立ち振る舞いと、ジュノとつながっている周囲の人たちが「受難」をわがこととして受け止めていく展開が見せ場。それがコディの実体験に基づくものなのか、たんなる願望なのかはわからないが、こういう社会って悪くないなと思わせてくれる。

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