メディアと多元性(divirsity)
ゼミに新しい研究プロジェクトができた。「メディアと多元性(diversity)」。わがゼミでは2005年から「メディア研究のつどい」などの公開研究会を開いているし、ほかにも勉強会があるけれど、今回生まれた「メディアと多元性」プロジェクトは、言論空間や日本社会の多元性を考えていくことに主眼を置く。旗揚げ興業にあたる第1回目の研究会の講師として、フリーライターの角岡伸彦さんにお越しいただいた。そして、彼のその見事な「しゃべくり」にすっかり魅了された。
公開講座「私が見た被差別部落、メディア、日本」 ( JM / iii / lab.)
角岡伸彦 (1999) 『被差別部落の青春』 講談社(2003年文庫化)
角岡伸彦 (2003) 『ホルモン奉行』 解放出版社
角岡伸彦 (2005) 『はじめての部落問題』 文春新書
角岡伸彦 (2009) 『とことん!部落問題』 講談社
角岡さんは神戸新聞記者、リバティおおさか(大阪人権博物館)学芸員を経て現在フリーライター。「Views」誌上で報告するなど部落問題を中心に文筆活動を続けている。例の飛鳥会事件についても「週刊現代」で、外形的な事実のほか、小西氏の人となり、彼と関わった人のたちの肉声、構造的な問題など多面的に取材した。こんなふうに書くと角岡さんがゴリゴリの硬派ライターという印象を与えるが、実際は気さくで飾り気のない、人なつっこい方だった。声が、憂歌団のキムラさんに少し似ていて、わたしには彼の関西弁がとても心地よかった。
部落問題は、東京ではあまり知られていない。人の移動が激しいうえ、膨大な情報が入り乱れる都会では、同和教育が行われていないこともあり、中世に起源を持つとされる部落問題への関心が集まりにくい。というか、部落問題の存在すら知られていない。だがしかし、狭山事件は埼玉で発生したし、日本の豚革素材の大半を生産していた(たぶん現在も)のは東京の被差別部落である。また、先ごろ亡くなった筑紫哲也さんの「NEWS23」が放送開始からまもなく、差別表現をめぐって激しい批判を受けたが、積極的に声を上げたのは東京の労働者たちだ。
多くの人はあまり知らないかもしれないが、一部の人は知っている。ふだんは水底に沈殿しているが、あるとき強烈に噴出する。メディアに登場する部落問題はそういうダイナミズムを持っているようだ。こうした部落問題について、積極的に関わろうとしたメディア関係者はそれほど多くなく、避けて通ろうとする風潮があったことは否めない。その結果、メディアと日本社会の多元性が損なわれてきたのではないか。そんな問題意識から、角岡さんをお招きして、かなり入り口の議論からレクチャーしてもらった。
角岡さんには、機会を見つけてまたお目にかかりたい。(レクチャーの内容は「東京新聞」09年11月14日メトロポリタン面で報じられました!)
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コメント
『被差別部落の青春』は、一気に読んだと思います。その後も、書き続けられていたのですね。読んでみたいです。
投稿: | 2009年11月17日 (火) 00時21分
そうそう、豚皮ではなく、豚肉の方ですが、私が(勝手に^^;)敬愛してやまない米国南部のオーラルヒストリーの牽引エンジンDavid Cecelskiが、最近、書いた文章を紹介させてください。育てた豚を解体するのはおおむね秋で保存食にするのですが、ここに紹介されているバーベキュー(豚肉をかたまりのままじっくり焼いて、ほぐして食べる、ここでは豚丸ごとの半分)は、食べきってしまうので、特に季節というものはないはずです。各地域によって、さまざまな伝統があって、米国南部の「お国ぶり」を競い合うといった料理です。
が、チェチェルスキが着目するのは「労働」です。タイトルも、「A Day Cooking Pig/豚を料理する日」。このブログは、きっと本になるし(水準の問題でなくあまりにローカルすぎてならないかも^^;)、それが、このJPの読者でも楽しめる内容だったら(無理だろーなー、全米でも無理そう)、絶対日本語にする仕事は私がやる!と決め込んでいるのですが、その前に、今抱えている仕事を終わらしていなければならないし、そもそも、本になるんかいなとか、ifが多すぎ^^;。
ともかく、豚さんの表情を見てやってください。
こういうアメリカでも、肉を解体する産業は、アプトン・シンクレアの『ジャングル』に描かれたような経緯をたどってきたのかと考えると、厳しいなぁと思います。
投稿: | 2009年11月17日 (火) 09時42分
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2009/08/post-49.php
こんな記事を読みました。
日本のメディアは「単一」のようです。
投稿: うぃっと君 | 2009年12月 2日 (水) 16時22分