学者と芸人
先般、ひさしぶりに師匠の授業の代役を務めた。ゲスト講師や公開研究会の司会進行などは何度もやってきたが、学部生向けの講義をして、教育の難しさをあらためて思い知る。ちなみにわたしも、学生からもらうと一番うれしい感想は「面白かった」である。教員は笑わせてナンボではないけれど、芸人から学ぶことは多い。長谷部先生も爆問学問で学者は芸人というようなことを話しておられたようだが(by同居人)、「学者芸人」の看板を掲げる一ツ橋大学講師のサンキュータツオさんなどを見ると、なるほど見事な「二足のわらじ」だなあと感心する。
米粒写経公式ホームページ http://kometsubu.com/
サンキュータツオ教授の優雅な生活 http://39tatsuo.jugem.jp/
「おもしろ研究論文」荒川強啓デイ・キャッチ、メキキの聞き耳MP3ファイル(20091022)
教壇に立ってしまったら、学生との関係が非対称になる。車座とは違い、一段高いところに立つわけで、いやでも権威の衣をまとう。わたしは根っこのところで「人間ちょぼちょぼや(どんぐりの背比べ)」と考えてきたし、権威主義は嫌い。学生たちはふつうに「先生」と呼んでくるので、せめて授業は面白くしないといけないなあと思うのである。
先般の代打講義では、かの大学では珍しく(?)最前席で突っ伏して眠ってくれた女子がいた。ときおり目を覚まし、トローンとした目で大きなあくびをしているのがよく見えた。せっかくボケをかましてくれているようなものなので、「なに寝とるんじゃ!」とドツいてもよかったのだけれど、この日はたまたまパワーポイントの調子が悪く、心の余裕がなくなってしまい、不発に終わった。教壇に立つ者としては(むろん芸人としても)、まだまだ修行がたりない。
| 固定リンク
「school life」カテゴリの記事
- 大学の序列と書き手の属性(2023.03.30)
- 卒論審査の基準公開(2020.12.16)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』ワークショップ@新聞労連JTC(2020.03.22)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』重版出来!(2019.11.29)
- ゼミ学生の推薦状(2019.11.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
道遠し、されど楽しですか?
わたしは最近、学生や市民を対象に「新聞社のネットのお仕事」をテーマにお話しました。
20人ぐらいた聴講者がわざわざ感想を書いたペーパーが後日届けられました。多くはおべんちゃらも含めて好意的に書いてくれたんですが、1人だけ「講師だけが盛り上がっていた。全然分からなかった」という、すごく正しい指摘がありました。
投稿: schmidt | 2009年11月30日 (月) 10時29分
>schmidt様
こんなのが仕事になったら大変(笑)
実は苦手かもしれません。
投稿: 畑仲哲雄 | 2009年11月30日 (月) 12時08分
現状へのアンチで、芸人との対比が語られるだけということでは? あまり、そこに意味はないような気がするんですが。というか、そこに意味づけするのは、危険ですらあると思います。学生が自分の力で「読む」「考える」力を奪う危険性をはらんでいるとも。
教員は、学生に知のスキルが身についてナンボだと思います。そのためには、まずは、ものごとの根っこを押さえて、それを、わかりやすく学生に見せてやること、そして、根っこからの展開を学生自身にちゃんと任せること、学生が考えてきた展開内容に、ちゃんと(大人数授業という枠内で)こたえてやること、だと思っています。
投稿: | 2009年12月 9日 (水) 09時25分
名前を書き忘れたので^^;
投稿: Sakino | 2009年12月 9日 (水) 09時27分
>Sakinoさん
なるほど、おっしゃるとおりかもしれませんね。
ただ、関西人のわたしとしては、「この講義、おもろい!」と思ってもらいたいという、みょーなスケベ根性が抜けきらないようで、、、(苦)
下世話な意味ではなく、いい意味での面白さを伝えられるよう、頑張ります。
投稿: 畑仲哲雄 | 2009年12月 9日 (水) 10時34分