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2009年11月 3日 (火)

痛すぎ、『WATCHMEN』の実写版

Watchmen_cinema_poster2アメリカン・コミックスを読んで育った30代~50代のアメリカ人(たぶん男)なら、この映画も細部まで楽しめるのだろう。だけど、こういう作品が作られたということと、この映画が問いかけている内容は、とても興味深い。わたしは映画『ダークナイト』の主人公ブルース・ウェインを、米イラク戦争における武装会社ブラック・ウォーターにダブらせて見たが、『WATCHMEN』のヒーローたちときたら、作品中でケネディを暗殺したり、ベトナム戦争に参加して自分が孕ませた現地の妊婦を虐殺したり、ニクソン三選のために暗躍したり・・・・と、そのまんま! もし、スーパーヒーローが存在しとしたら、という設定は、第二次大戦で日独伊三国同盟が勝利した後の世界を描いたP.K.ディック『高い城の男』 (ハヤカワ文庫)と同じく、思考実験としてはおもしろい。難点を挙げれば、この映画の暴力描写は痛すぎる。

ザック・スナイダー監督『ウォッチメン』(原題: Watchmen, 2009、米)
Moore, Alan and Gibbons, Dave (1986=2009) Watchmen, DC Comics (石川裕人,秋友克也,沖恭一郎,海法紀光訳『WATCHMEN ウォッチメン』小学館集英社プロダクション)
クリストファー・ノーラン監督 『ダークナイト』 (原題 : The Dark Knight、 2008、米)
P.K.ディック. 『高い城の男』 浅倉久志訳、ハヤカワ文庫、1984

『ウォッチメン』は原作コミックスが1980年代半ばに作られている。映画でも、米ソ超大国の冷戦構造下で核戦争による人類の破滅が現実的な脅威となっている世界をそのまま舞台としている。コミックスに忠実に作った結果だろう。わたしはこの時代に社会人になり、被爆地で仕事を始めたこともあり、この時代の空気がみょうにリアルに感じられる。

ただし、映画に登場するヒーローたちは80年代にいきなり登場したわけではない。1900年代初頭から米国のためにさまざまなヒーローが活躍していた。冒頭で、第二次大戦終結を告げる「JAPS SURRENDER」の新聞号外が舞い散る場面などが、ボブ・ディランの The Times They Are A-Changin' (時代は変わる)にあわせて走馬燈のように描かれる。当時のヒーローたちは、ミニッツメンと呼ばれ、米国には、正当な手続きに基づく権力のほかに、非合法な権力が存在し、(米国にとっての)正義を実現するには非合法な力が必要とされてきたことが示唆される。

ネタバレになるので、詳しくは書かないが、正義が非合法な力で実現されているという妄想は、少年向けマンガのヒーローとKKKに共通しているように思う。ここでいう正義とは「米国の正義」であり、米国の正義とは「米白人の正義」であり、米白人の正義とは「WASPの正義」であり、WASPの正義(=権力)は神に祝福されているという根拠なき誇大妄想が含意されているといえば大げさか。ヒーローたちはそうした妄想を体現しているわけであるが、この作品は、視点を権力に利用され翻弄される哀れなヒーローたちの側に置き、彼ら彼女らの悲哀を描くことに成功している。

スーパーヒーローたちは、傑出した能力を持つがゆえに、政府に利用されてきた。彼ら彼女らを利用してきニクソン政権によって、法によって非合法な活動を禁じられてしまう。ある者は素顔を明かしてハイテク企業を興し、ある者は引退してひっそり暮らし、ある者は法を破って犯罪者に天誅をくわえる。そんな中、ひとりのスーパーヒーローであるザ・コメディアンが惨殺された。ザ・コメディアンは、JFKを狙撃した男で、ベトナムで自ら妊娠させた妊婦を撃ち殺したり、悪の限りを尽くしてきたダーティー・ヒーロー。過去にも、ミニッツメンのメンバーだったヒーローたちが次々と惨殺されてきたが、いったいだれがヒーローたちを監視し、殺害しているのか。そんな謎から物語が走りだす。

わたしが感心したのは、ウォッチメンのなかにナイト・オウルというヒーローがいて、もしバットマンがいたらこんな感じなんだろう、という描かれ方をしていることだ。ナイト・オウルとして活躍した後、自動車修理工場を営むダニエル・ドライバーグは、ゴッサム・シティのブルース・ウェインとは違い、額の生え際がいくぶん後退し、下腹もしっかりせり出し、中年男の悲哀がにじむ。往年のヒーローたちは、みな年をとるわけで、年齢相応の輝き方を知らないだけなのだ。

この映画のテーマのひとつは、塀にスプレーで落書きされた "Who Watches the Watchmen?" 直訳すれば、「ウォッチメンをを見つめてるのはだれだ」だが、watchmenが監視者といういう意味があり、監視者を監視しているのはだれだ、という無限背進的な表現となる。

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