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2009年11月10日 (火)

百里の道でまだ二十五里

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先日、3回目の「博士課程コロキウム」という発表会に臨み、どうにか発表と報告をすませた。この発表会は、毎年行われる「審査」というか、指導のひとつで、正副指導教員を含む3人の前で研究内容を発表し、応答しなければならない。わが大学院では3回のコロキウムを経なければ博論執筆に取りかかることができないという重要な関門だが、もし仮に博論が書けなくても3回のコロキウムを通過したら、「まんたい」と呼ばれるイッチョマエな肩書きがいただける(←正確には博士課程単位取得満期退学で、昔は「博士課程修了」などと呼ばれていた)。ここまで来たら最後まで走り抜けてみたいという悪心もわいてくる。入学当初のわたしは大学院を「難易度がちょい高めのカルチャーセンター」と考えていたのに、この心境の変化はなんだろう。

社会人と大学院(1)社会人と大学院(2)社会人と大学院(3)社会人と大学院(4)

社会人生活に倦みつつあったわたしは、2004年に「社情研」の教育機関である東京大学大学院人文社会研究科の社会人選抜試験を受けた(←入学時は情報学環・学際情報学府に改組した)。特定の学問領域に大きな興味があったわけでもないし、働きながら院生を続けられる自信なんてまったくなかった。面接試験でも「あなたは研究者になるつもりはあるのか」と問われ、「まさか、まさか」と笑って答えたし、「なんで大学院を受験したのかね」という質問には「はい、生涯学習のためです」と明るく話した。試験官を挑発するつもりなど毛頭なかった。それが本心だったのだ。

ただ、「入試で高得点を取って入学してきた学生が、必ずしも良い論文を書くとは限らない」という言葉を学内で何度も耳にしているうちに、そんなこともあるのかなと思うようになった。たしかに、学部入試は限られた時間内に出題者の意図に沿う回答を的確にこなせる能力が問われるけれど、大学院で人生をかけてもいいと思える対象を見つけ、追い求めるわけで、それはいわゆる「東大脳」などと呼ばれているようなハウツー型の知識強化策とは関係がない。

一方、社会人の大学院入試では、職業生活のなかで生じた問題意識を研究に振り向けることができる(期待されている)ので、対象を絞り込みやすい。また、ゼミなどでもオトナ経験を生かした貢献もできるので、それなりに存在価値があるように思う(なかにはフリーライダー&クレーマーのようなオトナ院生もいるようなので注意が必要だけど)。

大学院でわたしが過ごしてき時間は、いまのところ5年8ヶ月。博論までまだ道のりは長い。ここまでを振り返ると、途中何度もくじけそうになったけれど、ここまで来られたのは指導教員、副指導教員、そして切磋琢磨してくれた院生仲間のおかげ。博論執筆のスタート地点にたったという一つの区切りに、あらためて感謝の気持ちを表明します。

先人の戒めに「百里を行く者は九十里を半ばとす」というのがありますが、わたしの気分はまだ五十里くらい。なので、その半分の二十五里と思うようにします。そんなわたしでよければ、大学院受験を考えている社会人の相談にはできるかぎり応じますので、相談相手がいないひとはメールをください。

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コメント

 しっかり拝読しました。なるほどいいもんですね。「悪心」に1票!

投稿: schmidt | 2009年11月10日 (火) 10時30分

ご健闘を祈願いたします。

相方は、博論で嵐に巻き込まれております。
残りの25里、いや、50里。
艱難辛苦の道を切り開かれんことを。

投稿: ママサン | 2009年11月10日 (火) 17時02分

>schmidtさん
もうしばらく頑張ってみます。
ただ、力尽きたときは、骨を拾ってください。
どうかよろしくお願いします。

>ママサンさん
おおお、いま大変な時期なのですね。
どうか相方さを支援してあげてください。
いい論文が書けますように。

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年11月11日 (水) 16時17分

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