« 学者と芸人 | トップページ | 演説を歌ったジャーナリスト »

2009年12月 6日 (日)

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』と中学の先輩

Asamaことし観たDVDでのベスト1は、おそらく『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』になるだろう。イデオロギー闘争の時代に青春(?)の日々を送った若松監督が個人的な思いから撮った作品だが、現代社会を批判的に読み解くパースペクティブを提供してくれる。この事件で描かれているのは、特殊な時代の特殊な人々による特殊な体験ではなく、じつは普遍的なもののような気がする。まちがっても、風化しかけた昔話ではない。

若松孝二監督 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 (若松プロ、2007)

若松の映画を観てあらためて感じたのは、森や永田のような人物はわたしたちの身の回りに大勢いるし、連合赤軍のような組織はいくらもあるということ。「総括」という名でおこなわれた集団リンチは、(1) 他者の目が行き届かない場所で、(2) 個を埋没させる同調圧が異常に高まり、(3) 疑心暗鬼と嫉妬が渦巻き、(4) 希望や活路が見いだせない--というどうしようもない状況下で起こった。若松は映画の終盤に、山岳ベースで長兄を殺された後、あさま山荘に籠城した加藤倫教(当時高校生)に「みんな勇気がなかった」と幹部を罵倒させているが、この創作がなければ映画として成立しなかったかもしれない。なぜなら、現実のわたしたちの身の回りに、加藤のような発言ができる人物はそういないからだ。

「山岳ベース」という社会から隔絶された環境で起こった集団ヒステリーをいまの言葉で表現すれば、集団分極化 (group polarization) となろう。それはマルクス主義ではない組織にも十分起こりうるし、じっさいに社会のさまざまな場所で散見される。宗教や政治などの各種団体、スポーツ団体、民間企業、役所、学校、病院、家庭・・・・。社会一般からは到底受け入れられない特殊なルールが堂々とまかり通っている組織を、わたしもいくつか見てきた。顚末書やら反省文やらの度重なる書き直し、土下座の強要、居丈高な罵倒、愛の鞭という名の体罰、シゴキ…… じっさいに命を奪う粛正こそ頻発しないが、本作品で描かれた森恒夫や永田洋子に似た人物はいた。だれもが森恒夫や永田洋子になる芽をもっているのである。

個人的なことをいえば、中学生のころ、ある教員が授業中にふと、「森恒夫はおまえらの先輩なんやで」と話してくれたことがある。大阪市立豊崎中学から名門北野高校、大阪市大に進んだ森は、やがて連合赤軍のリーダーとなり、何人もの仲間をリンチで死なせ、最後に拘置所で自ら命を絶った。教員はそうした事件の概要を話したあと、「家は貧しかったけれど、勉強家で責任感も強く、生徒会長をつとめた伝説の生徒。・・・もったいないなあ」というようなことを話していた。森恒夫はわが地元の秀才で、とても身近に感じられる人のひとりなのす。

|

« 学者と芸人 | トップページ | 演説を歌ったジャーナリスト »

「cinema」カテゴリの記事

「politics」カテゴリの記事

コメント

中学の先輩と言う話は初めて知りました。
多分そんなお話ができたのは社会科のMかげ先生かしら?
私は数学の時間にベトナム平和の話とWe shall overcomeを
歌わされたのを覚えてますよ。


社会人になってその世代の活動家だった人に立ち向かうと
身がすくむ事が何度もありました。
まず手始めは獄中で何年暮らしたか?だとかね(笑)
まぁご挨拶だと思ってその辺は聞き流し、つたない持論を熱弁すると
バカにしながらも夜通し話を聞いてくれる方もあり、時代が動いていた、
動かそうとしていた人たちの頭の回転の速さにタジタジになりましたよ。

あ〜人はいろんな事を経験して前に進んで行くんだと実感しました。
すごいパワーを持った方々でした。
人を動かすのは何かに固執する事ではなく、
何かを変えたいと言う思いが先にもっとたっていれば、集団リンチなんて
悲劇も起こらなかったのではと無知ながらにも思いましね。

投稿: monoかのう | 2009年12月 6日 (日) 14時20分

>monoかのうさん

えええっ?初耳ですか。
でもまあ、中学生に連合赤軍を語るのは度胸が要りますよね。
60~70年代の学生闘争は、国内政治や国際情勢に連動していたし、
労働者大衆からの支持もあったはずなのに、
セクト間抗争に埋没しましたね。
ふつうの人の暮らしと関係のない陰惨な小競り合いばかりが目立てば、
政治に関心があっても、だれもセクトに入りたいとは思いませんよね。
だめ押しが、連合赤軍事件と中核・革マルの一連の内ゲバだと思います。

それと、歌わされましたね"We Shall Overcome"は。
前後の脈絡なく、かなり唐突に歌わされた記憶がありますよ。
勝手な想像ですが、一部の反戦教員がキング牧師の誕生日にあわせて
ゲリラ的にやったのではないでしょうか。

サビの部分の someday が「でぇ~~~~~ぇえええぃ」という感じで
妙にコブシが効いていたのをよく覚えています(笑)

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年12月 6日 (日) 16時30分

あの頃、彼らを、すごく醒めた目で見てました。
彼らは、何も手にしえないだろうと。

>60~70年代の学生闘争は、国内政治や国際情勢に連動していたし、
>労働者大衆からの支持もあったはずなのに、

とは、全く思えなかったのですね。

ただ、ただ
ああ、彼らの存在によって日本が変わるのが何十年も遅れてゆくことになるのだろうと思ってました。

彼らには合意と納得という民主主義の根本がなかった。
たった一つの解を求め、そのために、力、を、
しかも具体的に言えば「暴力」あるいは「武力」という「力」だけを信じていた。
しかも、自分たちが「エリート」であるという、大衆を侮蔑化した価値観で。

と、個人的には思ってます。

投稿: ママサン | 2009年12月26日 (土) 13時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19960/46943694

この記事へのトラックバック一覧です: 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』と中学の先輩:

« 学者と芸人 | トップページ | 演説を歌ったジャーナリスト »