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2009年12月25日 (金)

『キャピタリズム』とムーアの「正義」

Simintaihoすべての作品を観たわけではないが、マイケル・ムーア監督の作品を貫いているのは“弱く貧しい人々が割を食う世界はゴメンだ”という一種の正義感覚だと思う。最新作『キャピタリズム マネーは踊る』でムーアは、資本主義を痛罵しつつ、少しカビの生えた感がある社会主義やかカソリックを対抗理念として掲げた。終幕エンドロールで流れたのは「インターナショナル」(とウディ・ガスリーの「ジーザス・クライスト」)。おだやかに晴れた休日の昼下がりにもかかわらず、薄暗い映画館内は満席。この歌をじっと聴く観客の一人になるというのは、なんとも不思議な感覚であったが、その後、仕事をしていて、ふと自分がやっているのはオーウェル『1984年』のウィンストンと大差ないのでは・・・・という恐ろしい錯覚を覚えた。

マイケル・ムーア監督『キャピタリズム マネーは踊る CAPITALISM:A LOVE STORY』公式サイト
Michael Moore, Capitalism: A Love Story Official Web Site

司法・行政・立法の各機関が制度的に確立するより以前、人々は素朴な正義感覚にもとづいて他者と共生してきた。正義感覚は実定法ではなく自然法の生みの親である。ムーアの「正義」は、労働者階級だった彼の父親たちが搾取を受けずに暮らせる、比較的平等が行き渡った社会を実現することであろう。貧しき者への配慮がなされ、不当に利得を得た者にはサンクションが働く、そんな世界。それは社会主義というよりも原始共産制や、貧しき者をたたえる聖書世界と親和するのかもしれない。

原理原則に立ち返るにあたり、ムーアは独立宣言を参照する。アメリカのデモクラシーについては、トクヴィルの壮大な旅行記に詳しいが、ムーアは国立公文書館を訪れて独立宣言に実際に目を通す。そして、「独立宣言の中にはFree Enterprise (自由企業体制)国是とせよなんて文言はないじゃないか」とアジってみせる。いったい誰がいつから難の目的でFree Enterpriseを国家の基本理念にしたのだ、と。ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言にある有名な一説は以下の通りだ。

We the people of the United States, in order to form a more perfect union, establish justice, insure domestic tranquility, provide for the common defense, promote the general welfare, and secure the blessings of liberty to ourselves and our posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.

独立の本来の目的は、正義を実現したり、福祉を増進させたり・・・・にある。もともとそんな理想を掲げていた米国は、ある時期から変な方向に歩んでいるとムーアは強調する。不正義が合法的に行われ、福祉が合法的に切り捨てられる。もし、we the peopleの国家が、一部の不心得者に乗っ取られたのだとすれば、人々は革命権(抵抗権)を行使できる。それは合衆国憲法が保障していることであり、銃の所持の根拠はそこにある。しかし『ボーリング・フォー・コロンバイン』で銃社会を糾弾したムーアは銃を用いず、NY証券取引所のほか、チェース、シティなどメガバングを「市民逮捕」するというパフォーマンスをおこなう。

笑わせ、泣かせ、怒らせる。ムーアのドキュメンタリーは藤山寛美の松竹新喜劇とおなじく感情に強く訴えかけるもので、それ自体に批判はあるが、それでもこの作品は、わたしたちの知らない事実をいくつも伝えてくれる。立ち退きを命じる強制執行の冷酷、ウェイトレスのバイトをする低賃金のパイロットの哀れ、従業員にかけた生命保険で潤う企業の貪欲、公的資金の使途がわからない金融機関の邪悪・・・・ 中産階級の消失を映す事実が次から次へとスクリーンに映し出される。映画の観客は喜怒哀楽のジェットコースターの中に放り込まれるが、スクリーンに映し出される人の一部は、怒りの感情をすら維持できないほど倦んでいる。

アメリカン・ドリーム--民族、人種、学歴、出自・・・それらが何であろうと、この国では努力さえすれば誰もが成功者になれるという物語は、牧歌的な社会においては活力になるかもしれない。しかし、人々に過度な努力を強いることを通り越し、むしろ諦めを強いてしまう恐れもある。その源流はウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に行き着く。しかし、それは新教国だけに顕著な現象ではない。ニッポンにも、じぶんたちを「勤勉」で「手先が器用」で「がまん強い」と信じて疑わない人がいる。それらはいとも簡単に搾取に利用されるということを想起すべきだし、みずからが搾取者や搾取者の手先にならないよう自戒すべきなのだろうなと思う。

宮武外骨や添田唖蝉坊が生きていれば、「笑う革命家」ムーアと意気投合したことだろう。

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コメント

 まだ公開されていないんです。楽しみにしています。

 米国が「ある時期から変な方向に歩んでいる」と考える人は多いでしょう。わたしもおそらくその一人です。たぶんに情緒的な判断がベースになりがちで、人によって観点が異なるような気がします。ムーアの作品はいずれも独特の表現手法で「変な方向」を描いていますが、そのことの解決策をも、情緒の中から生み出せ!とひたすらアジっているような気がします。そこが難しいのよ。ムーアさん。今回はどうなでしょう。

投稿: schmidt | 2009年12月25日 (金) 16時01分

物事が公平かどうかを判断しているのは扁桃体だそうですけど
ムーアさんは現代人はむしろ、その機能が弱まっているのでは?
という問題提起をしているようにも感じました。
「一部の不心得者」は、単にゲームの勝者になろうとしたのかも
しれませんが、勝手にルールを変える不正を躊躇しないなんて
宗教はまったく役に立っていませんよね。
最後に流れるのが「ジーザズ・クライスト」だなんて、皮肉が効きすぎ。

投稿: pinoko | 2009年12月26日 (土) 08時12分

>schmidt様
仰る点はごもっともですね。
ガス抜きに終わってしまうと、元も子もないですし。
ただ、為政者がもっとも恐いのは、じつは、、、、
多数者による素朴な怒りの爆発ではないでしょうか。
映画の中で、ほんの少しだけですが、デモ行進の場面も描かれます。
ぼくは、ふと、大学院入学直後に読んだある本を思い出しました。
それは、シャンパーニュ『世論をつくる:象徴闘争と民主主義』です。
私たちは投票という手続きによって政治参加が保障されていますが、
代議制は間接参加にすぎません。
これに比べると、一部の経済人は、財務長官に任命されたりして、
いとも簡単に政治に直接参加しています。
名もなき人々のもっとも実行力のある直接参加の方法は、
デモや座り込みや集会ではないでしょうか(やり方にもよりますが)。

>pinoko様
扁桃体って、そういう情動をつかさどっていたのですか!
宗教が倫理に及ぼす影響は、じつに小さいですね。
まさに、ジーザズ・クライスト!

投稿: 畑仲哲雄 | 2009年12月26日 (土) 09時52分

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