いま振り返る「ポスト戦後」
しばらく前に『ポスト戦後社会』を読んだ。岩波新書の「シリーズ日本近現代史(9)」として出版された吉見先生の著書。このシリーズは『幕末・維新』に始まり、『民権と憲法』、『日清・日露戦争』、『大正デモクラシー』、『満州事変から日中戦争へ』、『アジア・太平洋戦争』、『占領と改革』、『高度成長』という前史の巻があり、吉見先生が最後の「ポスト戦後」を執筆した。これで打ち止めだろう。「ポスト戦後」という時代区分は、1960年代半~70年代前半あたりから、およそ今日までを指す。それは、わたしが物心をついて以降の日本。思想、市場、文化、制度、家族、経済、政治などさまざまな変化が読み解かれている。やはり、近現代史はきちんと勉強しておかないといけないなあとあらためて感じた。
じぶんたちは、いったいどういう時代を生きているのか--それを分析して同時代の人に語るというのは生半ではできない。なぜなら、分析したり語ったりする主体も、対象の中にどっぷり浸かり、大いに影響を受けているためだ。A.C.クラーク『地球幼年期の終わり』に登場するオーバーロードのように人類の生誕から進化を追い続けてきた知的生命体でもなければ、人類の社会を客観的に見通すことなどできない。世の多数は凡人で、間違いなくわたしもその中に含まれる。バブル時代にトレンド情報誌で働いていたころ、じぶんがバブル経済の一部を構成していたなどとは夢にも思わなかった。
「いま」「あす」をより正確に見つめるには、やはり過去に学ぶしかない。いまだ物語化されていない、あるいは、可視化されていない情報と想像力を総動員する必要があるだろう。短いタイムスパンのなかで、入手しやすい二次情報だけ集めて、「何年後には○○になる!」などのご託宣を垂れるのは、およそ誠実な知識人の態度とはいえない。過去のジャーナリストや評論家たちが得意げに言い放った「予言」「予測」は死屍累々である。ただ、そんな過去の妄言集も、わたしたちが未来を思い描くときに陥りやすい罠や陥穽を類型化するのに多少は役立つかもしれない。それらも射程に収めて今日を見つめるしかない。
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