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2010年1月27日 (水)

「戦う知事」と地方分権の微妙な関係

これもしばらく前のこと。正月の帰省Uターンで新幹線のグリーン席しか空いていなくて、泣く泣く乗ったとき、ニュース誌『WEDGE』を手に取ったら、「そうだよ、そうだよ」と膝を打つ特集に出会った。特集名は「地方分権って簡単に言うな」。近年、大阪府の橋下知事や宮崎県の東国原知事らマスメディアによく登場する知事たちが地方分権の旗手であるかのように受け止められているが、地方分権のゴールは、都道府県をなくし、もっと小さな規模の自治体に権限を与えることにある。知事たちが都道府県の権限を強めることは、本来あるべき地方分権改革にとってどうなのか。学習院大教授・櫻井敬子先生のエッセーは明解であった。

櫻井敬子 (2010) 「地方分権という美名の陰で」,『ウェッジ』, 22(1) (通号 249) , pp.30~33

地方分権は、現在の都道府県よりもっと小さな単位の自治体を、基本的な単位である「基礎自治体」と位置づけ、自分たちのことは自分たちで決めるための裁量権を拡大し、財源確保の徴税権と立法(条例)機能を強化することを目指す。だが、パフォーマンスが上手なタレント知事が、中央官庁や中央政界を批判するのを応援し、「おらが知事」にオマカセするというのは、地方分権の目的から大きくそれる。

地方自治では、首長と議員を別々に直接選挙する制度が採られている。議員が首班指名をして総理大臣を選ぶ国会よりも直接民主主義的であることはいうまでもない。A.トクヴィルやJ.S.ミル、J.ブライスたちが喝破したように、地方自治こそ民主主義の学校なのだ。地方こそ国の基本と知るべきで、国や中央のほうが地方よりも一段上にあるとか、国=加害者、地方=被害者というようなステレオタイプに陥っていると、大切なことを見誤る。

国と47都道府県という集権的構造は、戦前に確立された上位下達の統治枠組みであり、市民社会が成熟していない時代にはそれなりに合理的であった。そこからの脱却には少なからぬ努力が求められる。分権の受け皿を作るには、相当の痛みを伴う。櫻井先生は「金はいるが、責任はいらない」という地方の人々の甘えを鋭く突く。間違っても、「知事さんが国と戦っているから応援しよう」「知事さんには、もっと霞ヶ関の官僚をやっつけてもらおう」「もっと補助金をぶんどってもらおう」という意識は捨てなければならない。

余談だが、地方分権のことを「地域主権」と言う人が増えているが、もともと中央集権体制の国なのだから、「分権」でよいではないか、と個人的に思う。主権といえば、「主権在民」や「国民主権」が刷り込まれているので、地域主権という表現は、どうもしっくりこない。ま、慣れの問題ですが。

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コメント

「地域主権」というのは、何となく新しい感じがするので、うっかり使うこともありますが、「地域」という人格のないものに権利など設定できないし、無理やり設定しようとすると、ややこしいことになりそうです。

 ですからわたしも当面「地方分権」でいいのではないかと思います。「分権型政治」「分権型行政」「分権型都市論」のように、あらゆる範疇で総合的に使えばいいのではないでしょうか。その先に、自然に導かれるのが「地域」であり、「地方」という言葉の消滅なんだろうと妄想しています。

投稿: schmidt | 2010年1月28日 (木) 00時15分

>schmidtさん
鳩山由紀夫・民主党党首が政権を取る前、高野孟の「ザ・ジャーナル」で以下のことをしゃべっています。

【動画】地域主権と地方分権は違う!―― 民主党 鳩山由紀夫代表×ジャーナリスト 高野孟(3)
http://opinion.infoseek.co.jp/article/358/3
--以下引用--
私は地域主権という言葉を地方分権より好んでいます。国から地方へ権利を分け与える分権というのは、国の方が上にあるようなイメージです。むしろ地域のほうが上にあるという考えである。地域のことは地域で解決していこうよ、と。それがわたしの友愛の地域社会のイメージなんです。官僚の力を殺がなければ・・・補完性の原理という地域主権を・・・

投稿: 畑仲哲雄 | 2010年1月29日 (金) 08時53分

主権者は、国民。
地域主権と言う言葉には、何か、自治体首長が自分の思うがまんまにぶん回したい、って響きを感じてしまう。それは、地域主権を語る彼らの多くが「道州制」を語るからかもしれない。

投稿: ママサン | 2010年1月31日 (日) 04時14分

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