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2010年2月27日 (土)

『山びこ学校』と生活綴方

Yama_iwanamiYama_movie生活綴方について、わたしは書物や資料でしか知らなかったが、教育映画『山びこ学校』を観ることで、その雰囲気がつかめたような気がした。山形県山元村(当時)の中学校に赴任した20代の無着成恭(木村功)は、生徒たちの前では快活な教師だが、家庭内では悩み多き若者として描かれる。彼は目の前にある東北の前近代的な寒村の貧困を克服すべく奮闘する過程で、生活綴方を取り入れる。

今井正監督 『山びこ学校』 (八木プロ、1952)
無着成恭編 (1995) 『山びこ学校』 岩波文庫
無着成恭編 (1952) 『山びこ学校 : 山形県山元村中学校生徒の生活記録』 青銅社

無着先生の当初の悩みは、生徒の出席率の低さだった。生徒たちは親の仕事を手伝うため欠席する。家庭訪問して父母たちに説得するも、自分の理想論を貧しい人たちに押しつけられない。教員の仕事は、文部省のカリキュラムに沿った授業をして労働の対価を得ることだ。教員に飽きたら稼業の寺を継げば、生活は安泰となる無着だが、彼は教え子たちが「貧困」から解放されるよう、社会運動家のような理想に突き動かされる。

「後期近代」や「再帰的近代」などと言われる今日、私たちは「学校化」という捻れた問題を持て余しているが、前近代に立ち向かう近代人・無着の思考は比較的明快である。無着が導入した生活綴方は、公開性と共同性という公共圏の構成要素を備えている。平たくいえば、生活綴方は①事実をありのままに書くことを前提としていて、②作文は誰もがアクセスできる文集というパブリックな空間のなかで公表され、③排除ではなく他者との共存を求めている。無着の教え子たちが身近な生活の断片を綴ったガリ版刷り文集の『きかんしや』は、ジャーナリズム実践とみても差し支えない。

大正初期に生まれた生活綴方運動は、文章表現の技術や能力の向上とともに、社会問題や権利意識などを涵養するプラグマティックな教育実践として、たびたび振り返られる。しかし、ジャーナリズム研究の文脈ではあまり参照されないのはなぜだろう。まあ、デモクラシーをめぐる政治思想もあまり顧みられないので、さもありなん、ではあるけれど。

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コメント

生活綴方というのは、文章の神髄が、「伝えたい思い」と「伝えたい内容」にあるという基本にたったライティングの指導方法だと思います。前者は、モチベーションといってもよいですが。まずはそれ。テクニックはその後でいかにも展開可能という発想です。

情緒的等の批判は、まったくあたりません。ライティングの原点だと思います。それにひきかえ、昨今の国語の教科書ときたら……。

投稿: Sakino | 2010年2月27日 (土) 01時26分

>まあ、デモクラシーをめぐる政治思想もあまり顧みられないので、
>さもありなん、ではあるけれど。

ずっと昔、山形で戦前、生活つづり方に取り組んだ元教師の取材をしたことがありました。ローマ字教育にも熱心な方だった。
で、治安維持法違反で引っ張られ、教員解職。
戦後、「民主化」の中で「かつてアカと呼ばれた民主的教員」として復職。
が、
レッド・パージの嵐が巻き起こり・・・再び、「かつてアカだった」で解雇。

それもまた、生活つづり方がたどった歴史の一面であります。

投稿: ママサン | 2010年2月28日 (日) 19時55分

>Sakinoさん
ライティングの基本ですか!なるほどなあ。
ぼくは日常を政治化していく象徴闘争としか考えていなかったのですが、なるほど多義的ですね。

>ママサンさん
うーん、せつない話ですね。
ご存じかもしれませんが、Wikipediaによると、無着先生は出版がもとで村を「追放」されています。やるせないです、ほんと。

投稿: 畑仲哲雄 | 2010年2月28日 (日) 22時36分

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