受験と格差
受験勉強は決められた時間内に要領よく問題を解くための筋力トレーニングのようなものだ。試されるのは、教科ごとに「重要」とされるポイントを次々と記憶したり、解法を会得したりする能力であって、人柄や人徳ではない。スポーツと同じく、自己流でトレーニングするよりも、優秀なトレーナーの指導を受けるほうが効率的に成果を出せる。ただし、そのためには費用がかかる。受験は平等に能力を競う制度のように見えるが、じつは富裕層に有利な制度だということは、過去に多くの社会学者たちが暴いてきた。しかし、いっこうに改まらない。
佐藤俊樹 (2000) 『不平等社会日本―さよなら総中流』 中公新書
上野千鶴子 (2008) 『サヨナラ、学校化社会』 ちくま文庫
多くの富裕層は子供への教育投資を惜しまない。そのため富裕層の子供らは資産とともに社会階層を親から相続する。かくして格差は固定化される。むろん富裕層から「転落」する子供もいるし、貧困層から脱出していく子供もいる。だが、その数はそれほど多くない。米国のアメリカン・ドリームや、日本の立身出世物語は貧困層に「夢」をちらつかせつつ、「大成しないのは努力が足りないからだ」という諦念をも植え付けてきたように思われる。
社会階層が固定化されている社会は、貧困層にとって何ともやりきれないが、富裕層も息苦しいと思う。上層階層から転落することは、看守が囚人になるのと同じようなもので、恐ろしいはずだ。では、格差問題をどのように考えるか。わたし安直なので、ロールズの格差原理に近い制度をつくってはどうかと考えてきた。ロールズは「無知のベール」の寓話を用いて、不利な人の立場を重視することの効用を説いたが、鳩山首相の相続財産の額などを見ていると相続税率を一律100%にしてはどうかと思う。もし、だれもが資産を相続できなくなれば、個人資産の平等化が一挙に進む。きっと消費も活化し、財政問題も一挙に解決する。政府は豊かな財源を使って福祉社会を実現できる。
もう一つは、現在の受験制度とは別に、評判システムを構築すること。不利な状況なのによく頑張っているとか、自分のことを後回しにしてでも人の世話を焼くとか、借りたものはきちんと返すとか、共同体のためによく働くとか、そんな数値化しにくい「公民の徳 = civic virtue」を評価の軸にする。特別なエリートではなく、「それなりの市民 (good enough citizen)」をきちんと育成し、ほどよい社会を創造する。これは試行錯誤を繰り返す難しい作業だと思うが、すくなくとも今のような状態が延々と続くよりも良い。
てなこと言っても、受験生にはなんの励みにもなりませんが。
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コメント
>相続税率を一律100%
まるで律令時代のような発想ですね。
これでは子孫のために働く気が起こらず、
刹那的な社会が形成されてしまいますよ。
投稿: 通りすがり | 2010年2月21日 (日) 09時44分