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2010年2月12日 (金)

引用と剽窃と立松さん(他山の石)

Tatematsu_5故立松和平さんの死亡記事や追悼記事をみていると、いまだに「引用」と「剽窃」の区別ができていない記述にお目にかかり当惑した。記事のなかで、「無断引用」という表現がプロ表現者によって使われているのは嘆かわしい。「引用」は本来無断で行う行為であり、「剽窃」とは別なる概念である。この2つの言葉がいまだに混同されるのは何故だろう。

すこし横道にそれるが、立松さんが盗作後に書き直した作品を高橋伴明さんが撮った『光の雨』は、劇中劇のスタイルを採っていて、ストレートな若松作品と見比べると面白い。

高橋伴明監督 『光の雨 連合赤軍事件』 (2001)

話を「引用」と「剽窃」の混同の問題に戻す。

最初に見つけたのは時事ドットコムの記事。タイトルは「立松和平さん死去=小説「遠雷」「道元禅師」など」。この記事の最後から2段落目には、「死刑囚の手記を無断引用して問題になったこともある」(時事通信社、2010/02/09-22:41)とある。言わんとするのは「盗用」あるいは「剽窃」であることは容易に想像がつくが、死者にむち打つような表現を避けたのか、あるいは、たんなる誤解であったのか。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2010020900636, accessed on 06/12/2010

これと似たケースとして産経ニュースに掲載されていた高橋三千綱さんの追悼記事に、「無断引用」の注釈がなされている。タイトルは「「バットで殴られたような気分」作家の高橋三千綱氏」で、最初の段落で「盗作問題では『そんな(=無断引用した)つもりはなかった』と主張する彼とけんかになり、3年くらい行き来がなかったこともあったが」(2010.2.9 16:33)という箇所がある。高橋さんは「盗作」と明記しているのに、新聞社側が「そんな」という指示語を「無断引用」という言葉で補っている。あきらかな誤解だろう。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100209/bks1002091634003-n1.htm, accessed on 06/12/2010

nikkansports.comにも微妙な表現があった。「行動する作家 立松和平さん62歳で逝く」と題した記事で、記事末尾に「93年には雑誌連載中の小説「光の雨」の一部が、元連合赤軍幹部の坂口弘死刑囚の著書と酷似していると指摘され、「安易な形で引用してしまった」と謝罪。後に全面的に改稿して発表し、映画化もされた」と記されている(2010年2月9日)。ここでは、立松さんの発言として「引用」という表現が使われているが、そのまま「引用」するとは。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20100210-594405.html, accessed on 06/12/2010

引用は、著作権法32条で以下のように規定されている。「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」。これは法的な概念規定であり、その説明がすべてだとはいわないが、ようするに、必要に応じて出典をを明記して引き写すこと。オリジナルの作者に敬意を表することもあれば、批判したり晒したりするときにおこなわれる。

これに対して「剽窃」や「盗用」は、他人の作品を、自分の作品のように偽装する行為。原作者の労力を盗むと同時に、オーディエンスを騙しているという点で罪深い。正しく引用をしようと思っていたが、方法に若干の不備があったというケースもあるとは思うが、明確な意志を持って剽窃するケースもあるだろうし、罪の意識もなく常習的におこなっている人もいるはずだ。引用と剽窃の混同や、それをめぐる言説が曖昧になりがちなのは、被害者と加害者が分かりにくく、サンクションが発動されにくいためではないか。その点が、窃盗、詐欺との違いではないか。

久米宏さんがキャスターを務めた「ニュースステーション」に出演していたときの立松さんは、栃木なまりの木訥な話し方で、実直な印象を受けた。追悼記事を読むと、温かい人柄が偲ばれる。多くの人から愛され、尊敬されていたことは言うまでもない。だけど、坂口さんの作品を盗み読者を欺いたことを謝罪をしたあとも、別の作品で盗作が指摘されるなど、いろんな意味で、人間の複雑さや弱さを身をもって教えてくれたよような気もする。合掌。

もし立松さんが“嫌な野郎”だったら、とっくの昔に業界から追放されていただろう。それが許されたのは、わたしたちの社会がこの問題に疎かったり寛容だったりするとともに、剽窃の汚点をカバーして余りある、価値や理念を立松さんが多くの作家と共有していたから。感情や理念が社会のルールをオーバーライドしたといえるかもしれない。

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