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2010年3月31日 (水)

Thunderbirdメール消失とMozBackup

ふだん家で使うPCをASUS社のEee PC S101に変更してから気づいたことがいくつかある。良かった点は、(1) HDDを搭載していないため静か (2) 軽くてどこへでも持ち運べる (3) 起動が速い―などである。反面、困ったこともある。たとえば、(1) ここ一番というときに非力でThunderbirdでのメール受信に時間がかかる (2) defragなどのメンテナンスに時間がかかる (3) 「プチフリ」と呼ばれる短時間のフリーズがよく起こる。きのうまでどうにかなっていたのだが、きょうThunderbirdでメールを受信時にプチフリが発生し、Thunderbirdを再起動したらメールボックスのフォルダがすべてきれいに消えていた(涙)

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2010年3月27日 (土)

『真昼の暗黒』と自白偏重

Mahirunoankoku01「まだ最高裁がある!」という有名な言葉を残した『真昼の暗黒』(1956)をしみじみ観た。警察官による拷問で4人の無辜の青年が「自白」調書を取られ、何年もかけて冤罪をはらした「八海事件」をモデルにした作品。原作は正木ひろし『裁判官』(1955)。作品はすべて仮名だが、担当弁護士だった正木は、八海事件の上告審の最中に小説を出版し、最高裁が審理を高裁に差し戻す前に今井正が映画を公開した。すごい、の一語に尽きる。

今井正監督 『真昼の暗黒』 (脚本: 橋本忍, 現代プロ, 1956)
正木ひろし (1955) 『裁判官 : 人の命は権力で奪えるものか』,光文社カッパブックス

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2010年3月23日 (火)

著者直筆のポップを探せ

03250941同居人が転職後はじめて関わった単行本が書店に並んでいます。東北大学大学院の小田中直樹著『ライブ・合理的選択論』(勁草書房、2010)。書店によっては、書棚には著者・小田中さん直筆のポップをおいているところがあるようです。お近くの書店で見かけたら、報告をよろしくお願いします。ちなみに、BK1のサイトには、小田中さんの手書きポップの画像が掲載されています。

小田中直樹 (2010) 『ライブ・合理的選択論:投票行動のパラドクスから考える』勁草書房

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2010年3月22日 (月)

四国新聞「追跡」に登場

四国新聞の人気企画「追跡」シリーズで、500回目にNIE特集があり、不肖わたくしもインタビューを受けました。人相、悪いです。ほとんど詐欺師の顔つきです。

このところ、ぽつぽつと新聞社の方々とお目にかかる機会があり、個人的にはたくさん刺激を受けています。やはり本郷なんぞでジーっとしていると、何もわからないなあ、ということを痛感します。

新聞の未来を考える-四国新聞「追跡」シリーズ 第500回
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/500/index.htm

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2010年3月21日 (日)

コミュニケーションの共時性と通時性(備忘録)

(マス)コミュニケーションを論じるとき、共時性synchronicityと通時性diachronicityという単語が用いられることが、たまにある。この言葉、もともと言語哲学者のF.ソシュールが厳格に区別した「通時言語学linguistique diachronique」と「共時言語学linguistique statique」の概念に遡るが、わたしはその方面には詳しくないため、俗っぽく(というか粗っぽく)「共時性」と「通時性」という言葉を使っている。(トンチンカンかもしれないです)。

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2010年3月14日 (日)

『夫婦善哉』vs.『めし』

MeshiMeotozenzaiたて続けに古い邦画を見た。ひとつは林芙美子原作の『めし』(成瀬巳喜男監督)、もうひとつは織田作之助原作の『夫婦善哉』(豊田四郎監督)。ともに庶民生活のくらしから立ち上る悲哀を描くことに長けていた作家の意図をくんで撮られたとされる名作。ただ、男女間の関係を考えるとき大きな差があるように思う。『夫婦善哉』は織田作の小説ロマンチックだが、『めし』は未読のため林芙美子の独白超の物語がどれだけ表現されているのか不明ながら、映画で見る限りなんだか偽善的な感じがする。

成瀬巳喜男監督『めし』(原作: 林芙美子, 川端康成監修, 上原謙・原節子主演, 東宝, 1951)
豊田四郎監督『夫婦善哉』(原作: 織田作之助, 森繁久彌・淡島千景主演, 東宝, 1955)

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2010年3月 8日 (月)

公民的徳性と一般的互酬性(備忘録)

Kodokunabowling社会学や政治学の世界では明確に区別されているものの、日常生活で混同がちな概念に「公民的徳性 (Civic Virtue) 」と「一般的互酬性 (General Reciprocity) 」とがある。前者は「市民の美徳」などと呼ばれ、近代市民に埋め込まれるべき規範的な精神性のようなもの。後者は「一般化された互酬実践」などの表現をする人もいるが、ようするに「情けは人のためならず」という古くからの日本の諺のようなことを意味する。ただ、この二者は似て非なるものだ。

Putnam, Robert D. (2000=2006) Bowling Alone: the Collapse and Revival of the American Community, Simon & Schuster, New York, (柴内康文訳, 『孤独なボウリング ― 米国コミュニティの崩壊と再生』, 柏書房 )

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2010年3月 3日 (水)

うちのヘンな楽器

Kankara_sanshin_insideKankara_sanshin_faceわたしの衝動買い対象のひとつに楽器がある(どうやら同居人にもその傾向があるようだ)。へんな姿形をしているけれど、味のある音を出すオモチャに惹かれてしまう。昨年はコルグの手のひらシンセサイザー Kaossilator というヘンテコなものを買いそうになり、ギリギリのところで思いとどまったが、このほどカンカラ三線(さんしん)の魅力にすっかり負けてしまった。この楽器は三線の簡易版といえばそれまでだけど、そのむかし、だれかが空き缶にツルハシの柄をくっつけて作ったのがはじまりだとされる。音色は、素朴そのもの。問題は、糸巻きがよく緩むこととだ。あと、漢字で書かれた縦書きの譜面(工工四=クンクンシー)にもなかなか慣れない。簡単そうで難しいところも魅力的である。

カンカラ三線スタンダード(完成品) Aセット :沖縄楽器・三線のまちだ屋

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