『夫婦善哉』vs.『めし』
たて続けに古い邦画を見た。ひとつは林芙美子原作の『めし』(成瀬巳喜男監督)、もうひとつは織田作之助原作の『夫婦善哉』(豊田四郎監督)。ともに庶民生活のくらしから立ち上る悲哀を描くことに長けていた作家の意図をくんで撮られたとされる名作。ただ、男女間の関係を考えるとき大きな差があるように思う。『夫婦善哉』は織田作の小説ロマンチックだが、『めし』は未読のため林芙美子の独白超の物語がどれだけ表現されているのか不明ながら、映画で見る限りなんだか偽善的な感じがする。
成瀬巳喜男監督『めし』(原作: 林芙美子, 川端康成監修, 上原謙・原節子主演, 東宝, 1951)
豊田四郎監督『夫婦善哉』(原作: 織田作之助, 森繁久彌・淡島千景主演, 東宝, 1955)
『めし』は夫・初之輔(上原謙)の転勤で東京から大阪にやってきた妻・三千代(原節子)が、あるころから「めし」をつくるだけの存在となることに恐怖を抱くことから話がころがっていく。無口な初之輔は大阪・北浜の証券会社に勤務する堅物の会社人間で、落ち着いた品性があるものの、自宅では妻との会話より新聞とビールに時間を費やすばかり。ある日、三千代は、いつ戻るのかを知らせず、ふいに東京の実家に戻る。その後いろいろあって、最後には初之輔が東京へ迎えにきて溜飲を下げる。大阪に戻る列車内で、夫の寝顔を見つめながら三千代が「女の幸せ」なるものを独白する台詞は、共依存を肯定する反フェミニズム的な内容がちらつく。(ちなみに舞台となっている大阪の土地はジャンジャン横丁である)。
一方、夫婦善哉は知性の欠片もない大店のドラ息子・柳吉が妻子を顧みず、貧民窟出身の新町芸者・蝶子に入れ揚げた揚げ句、勘当される近松門的な世界。だが、本当に入れ揚げていたのは蝶子のほうで、柳吉が人間的に成長して大店の跡取りになることを夢見つつも、その際に捨てられるのではないかというジレンマに陥る。だが柳吉は徹底した甲斐性なしのまま。蝶子は柳吉の父親から「柳吉によく尽くしてくれた」という承認を得ようと柳吉に尽くすも、大店から裏切られる。徹底してダメ男の柳吉と、しっかり者の蝶子が、雪のちらつく法善寺を肩寄せ合いながら道行きする場面は、家父長制を排したロマンチック・ラブ・イデオロギーの極北に思えた。
ちなみに、「めし」舞台となった大阪の飲み屋街はジャンジャン横丁。「夫婦善哉」に登場する自由軒のライスカレーは、いまも健在。生卵をよく混ぜてウスターソースをかけてお上がりください。
| 固定リンク
「books」カテゴリの記事
- 2020年に観た映画とドラマ(備忘録)(2020.12.29)
- 新聞書評『沖縄で新聞記者になる』(2020.05.19)
- 『沖縄で新聞記者になる』トークライブ@那覇(2020.03.23)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』ワークショップ@新聞労連JTC(2020.03.22)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』重版出来!(2019.11.29)
「cinema」カテゴリの記事
- 2020年に観た映画とドラマ(備忘録)(2020.12.29)
- 議論を誘発する『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2020.08.20)
- 3・19 那覇で新刊トークイベント(2020.02.21)
- 「華氏119」が描く大手メディアの欠陥(2018.11.03)
- 映画『否定と肯定』にみる大衆のメディア(2018.03.12)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
この「夫婦善哉」は戦後日本映画の傑作と思います。森繁久弥の真骨頂ここにあり、です。
しかし、これを書いたとき織田作は27歳とかそういう年齢だったことを後で知り、たいへん驚きました。もてたでしょうねえ。
投稿: brary | 2010年3月15日 (月) 13時12分
>braryさん
さぞやモテたでしょうね。伊達男で通っていたですし。
投稿: 畑仲哲雄 | 2010年3月15日 (月) 14時50分