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2010年3月27日 (土)

『真昼の暗黒』と自白偏重

Mahirunoankoku01「まだ最高裁がある!」という有名な言葉を残した『真昼の暗黒』(1956)をしみじみ観た。警察官による拷問で4人の無辜の青年が「自白」調書を取られ、何年もかけて冤罪をはらした「八海事件」をモデルにした作品。原作は正木ひろし『裁判官』(1955)。作品はすべて仮名だが、担当弁護士だった正木は、八海事件の上告審の最中に小説を出版し、最高裁が審理を高裁に差し戻す前に今井正が映画を公開した。すごい、の一語に尽きる。

今井正監督 『真昼の暗黒』 (脚本: 橋本忍, 現代プロ, 1956)
正木ひろし (1955) 『裁判官 : 人の命は権力で奪えるものか』,光文社カッパブックス

同居人は「いまこんな物理的な拷問はおこなわれていないよ。証拠が残るから」と話していた。たしかに、足利事件の再審で、菅谷さんの取り調べを記録したテープが再生され、それが報じられたとき、捜査員の言葉は意外にも丁寧に思えた。なぜなら、『真昼の暗黒』描かれた捜査員は、耳元で怒鳴りあげ、殴り、蹴り、柔道で投げ、線香で呼吸困難に陥れ、「死刑にしてやる」等とわめき散らしていた。こういう拷問に比べたら、今日のほとんどの捜査がまともに思えてしまう。

しかし、いまだって『真昼の暗黒』の時代と同じく、捜査は自白偏重主義。足利事件はいうまでもなく、鹿児島の志布志事件における「踏み字」も、大きな精神的苦痛を与えていたことが明白だ。物理的な拷問がなったとしても、精神的なダメージによって「自白」を誘導していたことは疑いようもない。「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰するなかれ」は判決についてのことだが、捜査段階では「1人の真犯人を見つけるため10人の無辜に苦痛を与えよ」的なことが横行し、裁判所も見て見ぬふりをしているのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

私などは、無実で逮捕されたら菅谷さんの比ではなく、簡単に嘘の自白を取られるだろう。で、その後、運良く再審で無罪を勝ち取れたとしても、判決文に「嘘の自白調書にサインしたのは軟弱な人間だからだ」みたいなことを書かれたら、再び大きく傷つくと思う。

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コメント

「まだ最高裁がある!」
は「かつての」被告側、原告側の言葉だった気がする。


投稿: ママサン | 2010年3月28日 (日) 06時45分

 いまは「絶望」という巧妙な拷問なのかもしれませんね。そのあたりは浜田寿美男さんの本がとても参考になります。

投稿: クニエ | 2010年3月29日 (月) 07時42分

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