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2010年4月19日 (月)

今週のいただきもの『ヤフー・トピックスの作り方』

How_to_make_yahootopics主流メディアにも悩みは多いが、ネット・メディアも悩みが深い。2009年5月に開催した「メディア研究のつどい」で講師を務めてくれた祝前伸光プロデューサーからいただいた『ヤフー・トピックスの作り方』は、オンライン・ジャーナリズムを考える際にいくつもの論点を与えてくれる。著者の奥村倫弘さんが元読売新聞記者ということもあり、主流メディア関係者に分かりやすい入門書だし、彼の議論が根源的な問いをいくつも含んでいることから、マスメディアやジャーナリズムを学ぶ大学生も議論をするのによい本になるだろう。

奥村倫弘 (2010) 『ヤフー・トピックスの作り方』 光文社新書

新書の帯には、以下の言葉が踊っている。本の特徴をすべてを語るため、ヤフー・トピックスと同じ13文字で表現している点が心にくい。

・ひと月の閲覧数 45億ページ
・ひと月の訪問者数 6970万人
・日本最大級のニュースサイト
・13文字でニュースを表現する
・ヤフトピ作成のノウハウ公開
・当事者が書き下ろす現場秘話

ヤフー・ニュースは、おそるべき数の人がアクセスする、日本最大のニュース発信ページ群といえるだろう。その飾り窓ともいえる「ヤフー・トピックス」の編集長が、本書の著者・奥村倫弘さんである。億単位の人間を相手にニュースを発信する彼が、おそらくは千から万の単位でしか印刷されない紙の本を書き下ろした理由は、行間ににじみ出しているように思えた。

本書は、第1章 トピックスの作り方、第2章 トピックスの作り方、第3章 コソボは独立しなかった、第4章 既存メディア、ネットメディアの関係、第5章 トピックスに載るニュース載らないニュース-の5つのパートで構成されている。1章と2章は、ニューズルームにおける編集者たちの日常実務の数々と、編集作業の勘所が紹介されており、オンライン・ニュースの実務に関心がある人向けといえる。わたしが興味を持ったのは、3章以降のオンライン・メディアに従事する著者の視点で語られる省察である。

著者が腐心?していることのひとつは、個々のニュースについて編集者の胸の内に形成される「内在的価値」と、アクセス数やユニーク・ユーザー数で表われれる「外在的価値」の差異--その象徴が、3章のタイトルである「コソボ独立」をめぐるニュースである。

2009 年2月17日、国連の暫定統治下にあったセルビア共和国のコソボ自治州が、独立を宣言した。一般的な新聞紙なら1面級のニュースだが、著者によれば、「トピックスに占めたアクセスシェアはというと、翌日分を含めても全体のおよそ2%に過ぎなかった」(p.103)。当日もっとも読まれたのは、「東芝撤退 HD機を買った人は?」。「また中田に屈辱 岡田監督激怒」「R-1ぐらんぷり なだき2連覇」なども多く読まれたという。新聞紙の部数という数値と違い、オンラインニュースは個々の記事のクリック数を集計できる。この数字に、トピックス編集部では「コソボは独立しなかった」というシニカルな声が上がったようだ。すなわち、トピックス編集者が「これがニュースだ」と感じた「内在的価値判断」(←著者の表現)が、利用者実際にクリックした「外在的価値判断」(同)に“敗れた”のである。

ここから導かれる論点は、(1) ニュースの送り手が受け手の関心を操作することの倫理的な問題と、(2) ニュースの「公共性」をめぐる民主主義の問題という2点に絞られるのではないか。以下は、わたしの考察。

1点目の、送り手が受け手を操作すべきなのか(しうるのか)という問題は根深い。洗脳やプロパガンダとまでは言わないが、ひとつ間違えば、世論誘導になりかねない問題を含意する。ヤフー・トピックスは、既存メディアから配信される膨大なニュースから、「重要」なものを選び、それら陳列することを主な業務としている。すこし古びたマス・コミュニケーション研究のf理論をひもとけば、すでにゲートキーピングされたニュースを再びゲートキーピングすることでサーバースペースにおける議題設定(agenda setting)をしているわけである。

著者たち編集者は、コソボ独立のニュースが、国民一般に広く伝わり議論が共有されることを望んでいたが、送り手が設定した議題はスルーされた。そのことに著者たちは少なからずショックをうけたようだが、しかし、それは悲観すべき事態だろうか。仮に、サイト編集者がユーザーの興味関心を自在に操作できるとすれば、そのことこそ憂慮すべきであるはず。むしろ、編集者たちは「ユーザー」という言葉で表される人間の集合体をもう一度検討すべきではないか。そのことにショックを受けたトピックス編集者たちのユーザー観が、わたしには、既存の全国メディア編集者の読者観や視聴者観と極めて近いように思えた。別な言い方をすれば、ヤフトピも既存メディアのような「国民のメディア」たろうとしているように思えたのである。ヤフトピはそういうことを目指していたのか?あるいは、すでにそういう領域に足を踏み入れているのか?

これを受け、2点目の問題を検討したい。公共的な議論と私的な興味関心の弁別について、である。デモクラシーとは、文字通りデモス(人民)が自分たちを統治する制度とそれを支える理念である。古代ギリシャのアゴラ(広場)では、市民(とはいえ、奴隷を除く成年男子であるが)がポリスの問題を討議して解決策を共同決定した。討議に付されるのは、個々人の問題ではなく、ポリスに関わるパブリックな問題である。現代社会に置き換えれば、地域や国家、そして世界に関わる問題といえよう。

「コソボ独立」はグローバリゼーションが進む今日、重大なできごとであり、関心を抱く人が増えることはおそらく国際的に望ましい。ただ残念ながら、極東の島国で、バルカン半島の問題に触れる機会がなかった人が多いことも想像できる。アクセス数という「外形的価値」は、ヤフトピの価値ではなく、むしろヤフトピにアクセスした利用者たちの公共的関心度合いを映したにすぎない。それは、ヤフトピ編集部の思いが伝わらなかったというよりも、ヤフトピ登場前から国際ニュースを一方向で発信してきた既存メディアが負うべきものであるはずだ。

デモクラシーの問題に立ち返れば、公共性が高い=みんなの問題=と考えられるニュースに関し、熟慮したり討議したりするための知識や言説資源を持つ人が、じつはそれほど多くないというのは、W.リップマンに言われるまでもなく各地で見られてきた現象である。とりわけ、日本は官僚エリートによる「上からのデモクラシー」によって「外形的民主主義」を整え、これに「国民のメディア」としてのマスメディアが寄り添ってきた。だが、そろそろ自己統治の問題を再検討する時代にさしかかっているという議論も、徐々にではあるが起こっている。

ヤフー・ニュースが、既存メディアが歩んできた「国民のメディア」的な路線にとどまるのか、あるいは、別なる理論を戴き、別なる道を歩むのか。それとも、かかるデモクラシーの議論を抜きにして、突き進むのか。本書を一読して、わたしは、そうしたことがらについて、著者たちと語り合ってみたいと思った。

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