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2010年7月25日 (日)

講義で採り上げた映画(2)

引き続き、講義で取り上げた映画の一部を掲載する。わたしは映画の評論家でも専門家でもないので、「見方は間違っている」などお叱りの向きもあるかもしれないが、これはマスメディアとジャーナリズムを勉強する大学生が、「あの話って、こんな感じだったのか」と理解する手助けとしての参考材料。もちろん、映画は話を単純化したり、創作したり、誇張したり・・・といった操作がなされているので、そうしたことも含めて観賞し、議論してもらいたい。

▽メディアスクラムとバッシング現象

君塚良一監督 『誰も守ってくれない』 (東宝, 2009)
熊井啓監督 『日本の黒い夏─冤罪』 (日活, 2001)
『誰も守ってくれない』は、犯罪加害者の家族がマスメディアやネットメディアで総バッシングを受ける姿を描く。加害者の妹の人権を守ろうとする刑事の目線で、報道倫理やネット倫理を告発する。『日本の黒い夏』は松本サリン事件をモデルに、犯人視報道と警察の見込み捜査の過酷さを描く。いずれの作品も、善と悪とが対立するような単純な二項対立で片付けていない。

▽メディアコングロマリット

オーソン・ウェルズ監督 『市民ケーン』 (原題:Citizen Kane, 1941, 米)
『市民ケーン』は、米国のメディア・コングロマリットのひとつ Hearst Corporation 創業者ウィリアム・ランドルフ・ハーストを揶揄した作品。これに激怒したハーストが、ウェルズをハリウッドから追放し、徹底的に弾圧したことで知られる歴史的な作品。

▽社会の利益と企業の利益

マイケル・マン監督 『インサイダー』 (原題:The insider, 1999, 米)
『インサイダー』は米CBSの報道番組「60minuts」を舞台にした実話ベースの作品。番組プロデューサーは、タバコ会社の不正を暴くため情報提供者のインタビューを説き伏せ、番組で放送しようとしするが、テレビ局側は、タバコ会社から巨額の賠償金を請求されることを恐れる。社会の利益と企業の利益の相克。

▽偏見とステレオタイプ

スタンリー・クレイ監督『招かれざる客』(原題:Guess who's coming to dinner, 1967, 米)
新聞社経営者の娘が自宅の夕食に招いた「恋人」が黒人であったことから巻き起こる人間ドラマ。真正面から差別問題を暑かった古典ではあるが、着目してほしいのは、娘の父が発行する新聞は人種差別に反対する論調を掲げ、父親自身も進歩的な知識人として通っているにもかかわらず、偏見から抜け出せないという部分。むろん、娘の父親の職業は、政治家でも法律家でも宗教家でもなんでもよかったはず。新聞社を経営する人物にしたことで、本音と建て前がくっきり表現された。

▽生活に根ざすメディア実践

今井正監督『山びこ学校』( 新日本映画社, 1952)
山形の貧しい村で、若い教員が生徒たちに作文を書かせ、生きる意味を教える感動の物語。暮らしに根付いた文章で、自分と世界を表現することこそ、もっとも力強いメディア実践といえる。実話に基づく作品。

▽小切手ジャーナリズム

ロン・ハワード監督『フロスト×ニクソン』(原題:Frost/Nixon , 2008, 米)
フリーの芸能番組司会者が、大金を積んで元大統領のにインタビューする。金銭うを払って取材をする手法は「小切手ジャーナリズム」と小馬鹿にされる。映画のなかでは、取材者フロスト個人の利益と、ニクソンによる国民への謝罪という社会の利益とが、インタビューのなかで交差する。実話ベースだが、まず舞台があり、それが映画化された。

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