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2010年10月 2日 (土)

いまさらながらtwitter考

twitterを頻繁に利用するようになった。おかげでブログの更新や会員制SNSへのアクセスが激減した。それ自体、良いとか悪いというものではないのかもしれない。twitterが登場した当初、わたしは140文字の制限には魅力を感じなかった。だがその手軽さや気楽さを考えれば、爆発的に利用が広がった理由はよくわかる。ただ、こうしたツールをわたしたちが次々と乗り換えていく現象をどのように考えればいいのだろう。

日本では、twitterが大流行する前、ブログとmixiなどのSNSが大流行した。アマゾンや楽天のアフィリエイト広告に利用されることが多く、カメラを紹介するアフィリエイトでボロ儲けをしたブログ運営者が注目を集めたりした。もうだれも覚えていないかもしれないけれど、ブログに「革命」という文字が付けて語っていた論者は珍しくなかった。ブログに価値を見いだした人たちは、「ブログこそジャーナリズムを進化させる」とか、「新聞などの旧勢力は滅ぼされる」というような比較的「大きな物語」をぶち上げていたように思う。

ブログは、インターネット発祥の地であるアメリカから伝えられたこともあり、なんとなく新鮮に感じられたのではないか。でも、日本では「ウェブ日記」のシステムがそれなりに人気を呼んでいて、ウェブで日記を公開している人たちが徐々にブログに乗り換えていったことも日本のブログ利用を拡大した。

ブログの大ブームの前には、匿名の巨大掲示板「2ちゃんねる」が社会現象となっていた。その少しあとには、GREEやmixiなどの会員制SNSが大ブームになった。GREEはその社名が象徴的なのだが、地球上の全人類は知り合いの知り合いの・・・・という6次(six degree)のツナガリですべて閉じるという神話があり、ブログ以上に諸個人の関係性というか、ネットワークやコミュニティの構造や特徴がたびたび俎上に上り、分析され研究された。今日流行しているtwitterは、ブログとSNSのいいとこ取りをしたようなもので、一部の利用者はミニブログだといい、別の利用者は広義のSNSだという。

しかし、わたしの知っている範囲(となると年齢層は高くなるのですが)でいえば、twitterを利用している人はブログにもmixiにもなじんでいたり、2ちゃんもたびたび覗いていたりしている。もっと古いところでは、パソコン通信の熱心なユーザーだった人や、さらに遡れば、アマチュア無線や市民無線(CB)をやっていたことがあるという人もいる。つまり、同じ人が次々と登場するツールを器用に使いこなしているのである。

twitter普及期には「信者」さんとたびたびお目にかかった。中にはまじめな顔して「twitterは50年に一度の衝撃、大きな革命ですよ」と言う人もいた(ちょうどハマっていたんでしょうね)。でも、過去50年を振り返れば、ティム・バーナーズ=リー(Timothy John Berners-Lee)たちがハイパー・テキスト(Hypertext)を開発したことの方が革命的だし、TCP/IPというプロトコルが標準化されたことのほうがインパクトはでかい。そもそもパソコンやケータイがこんなにも普及したことのほうが驚異だし、次々と開発・販売される商品を買い続ける人々(わたしも!)がいることのほうが、あり得ないような気もする。

twitterの特徴のひとつは、じぶんのつぶやきを参照する人(フォロワー)と、じぶんがフォローしている人が明示され、その数がひとつの指標となっていることだ。“革命”で倒されるはず(笑)の旧メディアで名前を売った人は当然フォロワーが多く、芸能人、タレント、スポーツ選手、経済評論家、脳科学者、テレビ等で活躍する政治家などは何万、何十万人のフォロワーをもつ。その数は、そこらの週刊誌や地方紙の発行部数やラジオのリスナー数をしのぐ。フォロワー数を「評判システム」と呼び、数が少ない人を格下であると見なす著名人も出てくる始末で、なんだか変な感じがする。

「拡散希望」というつぶやきが、ネズミ算のように拡散することもtwitterの特徴のようだが(リツイートという機能)、140文字では真偽のほどがわからないので、流言飛語も出回りやすい。わたしも何度か無自覚にRTしたことがあるが、よくよく考えると、大丈夫なのかなあと胸に手を当てることもある。やはり140文字の制限ゆえ誤解も起こるし、文脈の鳥違えも頻発する。

いずれにせよ、twitterは50年もしないうちに姿を消すと考えるのが自然。今後どのようなモノが登場しようと、人間は情報交換をする生き物であり、ドーキンス先生のミーム論を借りれば、twittrerのようなツールもそれを使う人も、すべて情報の乗り物かもしれないとさえ思えてくる。

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コメント

ミーム理論で理解するのはかまわないと思います。わたしの場合、パソコン通信の遺伝子は強力かつ多量に持っていたようですが、ウェブ日記、2ちゃんねるをまったく必要とせずにブログにぶろぐ、ツイッターとたどりました。正直にいうと、ツイッターでできていることの大半は、実行性の低い形式的なつながりです。ごく一部にメールやブログさらには電話などのツールで可能になった関係をなぞったような有効性はあります。使う時間も、細切れ時間をつないだ分が多いように見えるだけだ。ブログの「革命性」に比べると、実質的には言われるほどのものではありません。ただ、ツイッターをながめていると、インターネットに集う人々の実相がよく見えます。われわれが形成している社会の全体性とネット社会の実相にはずれがあることも実感できるように思います。そのこと自体は、2ちゃんねるで既にみえていたことではありますが。そいういう意味、ある種の測定機能があるようででとても重要です。

投稿: Schmidt | 2010年10月 2日 (土) 05時29分

ワープロにモデムを入れての通信から始まり(あれは掲示板みたいなもんでしたかね)、チャットテーブル、ブログ、mixi、twitterと渡り歩いて来た組みです。チャット〜mixiまではお馴染みさんの誘いでグループごと移動して行く感じでしたが、twitterでのフォローはまったく予想もつかないところから広がり驚く事もあります。商用目的でのフォローが増えてきたいまではフォロワー数はあまり気にならなくなりました。自身でも1日に10数人増えて10数人減らす日もありますし商用サイトへ誘導するツイートも日に日に巧妙になっていますから何をもって自分がフォローされたのか?なんてあったもんじゃない。くらいの軽い気持ちでいます。そんななかからでも偶然か?意外と同年代の働く女性とのやりとりがふえたり(職業、住む場所はばらばら)おじさまとのやりとりもでてくるから不思議ですが、まぁそんな事が身構えずにできてしまうところがtwitterやネットコミュニティのいいところなのかもしれませんね。まぁ正直いままでブログなどで怖い事もあったんで、140文字に制限された距離感が適度でいいのかな?とも思っています。

投稿: かのう | 2010年10月 2日 (土) 09時09分

ところで、twitter のビジネスモデルって、どうなっているんですか?
誰のお金で動いているのかさっぱり分からないこともあって手を出してないのですが
もしご存知でしたらご教授いただけると幸いです

投稿: 信州人 | 2010年10月 2日 (土) 13時53分

率直にお伺いしたいのですが、

どんな社会的な意味がtwitterにはあるのでしょ?
それが、未だに判らない。
あえて、tweetするための時間を作りたいと思わない。

発信すりゃ、誰かが返してくる・・・・それにまた答える、っていう作業が物理的に時間をただ浪費する作業になりそうなんで、使いたいって思ったことが一度も無いのではありますが。

ま、テレビという仕事が本業なので、顔の見えない相手への発信には飽き飽きしているっていうのがあるのかもしれません。

投稿: ママサン | 2010年10月 2日 (土) 13時56分

ひさしぶりにブログを更新すると、いろんなコメントがいただけてありがたい。twitterではこうはいかないですね。

>Schmidtさん
「ブログの「革命性」に比べると、実質的には言われるほどのものではありません」という点には大いに納得します。メディア関係者として、知らないで済まされないような気もしたので、一度はハマってみて、現実社会の実相とのズレなどを実感したり、「ある種の測定機能」を検討することはたしかに有益です。

>かのうさん
パソ通のチャット時代って、電話代との勝負でしたね(笑)なつかしい。最初はどこも牧歌的な空間だったのに、利用者がどんどん増えて行くにつれて、金儲けをしたい人たちも参入し、当初あったはずの自由さや信頼感が薄まっていく。なんどもこういう体験してきましたよね。twitterがいま楽しいのは、見知らぬ人との思わぬ出会いがあるからという指摘はその通りです。ニフティサーブのRTC(リアルタイムチャット)もこんな感じでした。

>信州人さん
 ビジネスモデルについては、よくわかりません。昔ながらの広告収入ではないでしょうか。

>ママサンさん
 「どんな社会的な意味がtwitterにはあるのでしょ?」と問われ、「意味という病」という柄谷&スガ先生の本のタイトルを思い出しましたよ(笑)。
 人々のつぶやきを還元主義的に分析しても何も得られないと思います。なので、時間の浪費、体力の浪費です。わたしも長らくハマるのを避けていたのですが、さすがに「社会現象」となったので勉強し始めました。
 現時点での感想は、なるほどネット社会を知るには無視できないなあ、ということです。
 一時期、ポケットベルでコミュニケーションをする現象が話題になりましたよね。「ベル友」とかいうの。あれに似ているような気がします。わたしは経験がないのですが、パーティーラインも、こんな感じだったんじゃないかな。ただ、twitterはオバマも鳩山もやっている。
意味なんてないし浪費かもしれないですが、観察するには、体験するしかないのです。

よろしければ、どうぞ。http://twitter.com/hatanaka

投稿: 畑仲哲雄 | 2010年10月 2日 (土) 19時26分

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