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2011年1月24日 (月)

資料整理と温故知新

School_of_umanities_and_sociologyわが家で資料整理を始めて数日がすぎた。咳が止まらないので、自室に引きこもった状態でもできる作業に取りかかった。大学院生になって約7年間、山のようになっていた紙の資料を大掃除して整理していたら、思わぬ発見がふたつあった。ひとつはじぶん自身のこと。もうひとつは院生仲間のことである。

東京大学大学院人文社会系研究科 入試案内 | 修士課程 (社会文化研究専攻 社会情報学専門分野) 社会人特別選抜 on waybackmachine
旧・社会情報研究所 新聞学やマス・メディア研究をリードした先駆的研究機関の75年のあゆみ

わたしが「社会人特別選抜」という枠で受験したのは東京大学大学院人文社会系研究科という、文学部系の大学院であった。この大学院は幅広い教育機関で、ここで社会情報などを教えている教員や研究者たちの組織として「社会情報研究所(通称・社情研)」が存在した。この組織のルーツは「東京大學新聞研究所」、そして小野秀雄の「東京帝国大學文学部新聞研究室」に遡ることを知ったのは、2004年4月の入学ガイダンスのときだった。ルーツを知ることは、現在の立ち位置が横道に逸れているかどうかを知る上でとても重要で、学環コモンズで居眠りをするときは、夢の中で小野秀雄と出会いたい。

さて、自宅にたまった資料を整理していると、願書と一緒に提出した小論文や作文などの雑文が出てきた。アカデミズムの作法や方法を知らない三流サラリーマン記者が身のほど知らずの理屈をこね回した文章が書かれていた。いま振り返れば、とても恥ずかしいけれど、当時のマスメディア産業をめぐる危機意識がそれなりに滲み出ていた。(勤務先の上司に対して提出した文書類も含めて出てきた)。研究の原点というのは、他人には見せられない恥ずかしいものであるけれど、これがショボイと学問など続けられない-そんなことを思った。

付言すると、当時わたしが感じていた危機感に似た意識は、じつは、多くの若手・中堅の業界関係者も感じていて、わたしはたまたま大学院の門を叩いたけれど、別の方法を試した人たちが大勢いたのではないか。わたしが当時、感じていた危機というのは、社会のデジタル化にともない、巨大メディアと主流ジャーナリズムが相対化される傍ら、技術決定論モドキの儲け話や安直なビジネス論を吹く輩が跋扈し、内在していたはずの大切な価値や意義が顧みられなくなっているのではないかという心配の一種である。こうした「構え」は、わたしのなかで1990年代後半から徐々に形成されてきたはずだが、いまも変わらないどころか、一層つよまっているとさえ思える。

さて、これらのほか、資料を整理していて驚かされたのは、院生仲間の研究レジュメの内容だった。修士論文の中間発表で知人の発表をいくつか聞いたが、このときに配布されたレジュメがいくつも出てきた。それをパラパラめくっていると、今のわたしにも有益なヒントがいくつもあることに気がついた。当時は、じぶんの発表で精いっぱいだったけれど、院生仲間のレジュメには、着眼点のすごく良いものや、とても参考になる事例がサラっと紹介されていたりしていた。これは結構な衝撃であった。先輩・後輩の別なく、領域が少々離れていても、ひと様が真剣に取り組んでいる発表の場に立ち会うということは、重要な修行だと痛感した。

わたしは働きながら学び・研究してきた社会人院生なので、キャンパフに顔を出す機会も時間も少なかったし、友達も多い方ではなかった、というか、少なかったよね。なので、いま修士課程にいる院生たちはお互いの研究を発表し合い、相互に学び合うことが何よりも重要ですよと言いたい。社会人院生も仕事をさぼってでも?時間を見つけて研鑽してください。

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