根津神社と権現信仰
一次審査のレジュメづくりも一段落した(ことにする)ので、きのうの昼下がりに同居人のお供をして散歩に出かけた。行き先は根津。これまでにも何度か歩いた街だけど、根津神社に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。境内に入ると、ひしゃくで手と口を清める手水舎(ちょうづや)があるのだが、そこには寺院を示す「卍(まんじ)」の印が彫られていた。この神社はかつて「根津権現」として知られていたのだ。
「権現」について、平凡社世界大百科は「仏菩薩が権(かり)に神祇となって現れること」と説明している。研究者のリーダース英和辞典では「an incarnation of Buddha、an avatar of the Buddha」と釈迦の化身であると書かれていた。もうすこし詳しく知りたいので、岩波日本史事典CD-ROMをみると、こうした神仏習合的な考え方の起源は、平安中期の「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」にたどり着くのだそうだ。
平安といえば、「鳴くよウグイス」のAD794から「いい国作ろう」のAD1192までの約400年。中期が900~1000年ごろだとすれば、本地垂迹説は仏教伝来からざっと500年くらいに現れたのかな。仏教思想や中国流の統治制度で大胆な国家運営をした奈良時代から、平安時代になると、日本固有のカミは仏教とも折り合いを付けていく必要があったのかもしれない(わたしは門外漢なのでよくわらないが)。岩波日本史事典では「神社は祭神の本地仏を安置し社僧を置くことで、神仏両方の利益享受の場となった」と記している。
絶対唯一の神に従う一神教世界からすれば、いい加減な態度かもしれない。「正/邪」「清/濁」などの二分法で突き詰めて考えることは時に有用かもしれないが、宗教的原理主義に走ってしまうのは好きになれない。というのも、この本地垂迹説=神仏習合は、近世の儒者者や国学者から排撃され、多様で雑多な神道群からたった一つの国家神道と天皇制イデオロギーが形成されていったからだ。
明治期に仏教と神道が分離されるまでの日本は、権現信仰にみられるような神仏習合が珍しくなかったし、「村の鎮守の神様」や修験道的な世界が村落のふつうの人々の暮らしに溶け込んでいたことは、哲学者の内山節先生が『共同体の基礎理論』のなかで詳しく記されている。
近代的な市民社会へのゆきづまり感が強まるなかで、前近代の象徴ではなく、未来への可能性として「共同体」が語られるようになってきた。群馬県上野村と東京との間を行き来して暮らす著者が、村の精神に寄り添うことをとおして、自然と人間との基層から新たな共同体論を構想する。(「BOOK」データベースより)
内山先生の本を読んでいると、日本の「共同体」という言葉は、英米世界の community とも違うし、マッキーバーがいう association とも違い、テンニースのいうドイツ語の Gemeinschaft / Gesellschaft とも違うことがよくわかる。内山先生が書かれた『共同体の基礎理論』は、半世紀前の大塚久雄『共同体の基礎理論』へのオマージュでもあり、二冊まとめて読むとわずか50年ではあるが、日本社会の変容がわかっておもしろい。そして、「共同体」というものが、どんどんわからなくなる(涙)
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