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2011年2月 2日 (水)

わが町は「禁」だらけ

Bannigふだん何気なく歩いている街角も、見方を変えると奇異に見えてくる。最近わたしが気になっているのは、街が「禁」の文字であふれかえっていることだ。「駐車禁止」「進入禁止」「立入禁止」「貼紙厳禁」「火気厳禁」・・・・ 街中で「禁」の文字と出会わない日はない。「禁」という文字は使っていなくても、「○○はご遠慮ください」とか、「○○お断りします」、「誰かが見てるぞ!」、「迷惑しています」、いろんな言い方で人の気持ちを萎えさせてくれるメッセージも少なくない。来日して漢字を覚え始めたばかりの外国人には、さぞかし変な国に映るのではないだろうか。

最近の禁煙ブームを受けてか、「歩行喫煙/ポイ捨て禁止」ステッカーが、3~5メートル間隔で貼られている路地がある。たばこの副流煙よりも、この貼り紙を延々見せつけられるダメージのほうが、今の私にははっきりいって深刻だ。右を向いても左を見て、「禁」だらけの街というのは、はっきりってイライラさせられるを通り越して息が詰まる。いつから、わたしたちの街はこんなふうになってしまったのだろう。

「禁止」サインは、大きく分けて3種類あるように思う。ひとつは、それを貼り出している人が直接被害を受けているというプライベートなメッセージだ。犬や猫のフンに困っている家はさぞかしイヤなことだろうし、違法駐車されてばかりのお店もお困りだろう。我慢しなさい、などとは言えない。もうひとつは、たとえば、ここから先に進入したら危険ですよとか、文化財の近くで火を使わないで、というようなパブリックなものだ。大型トラックから流れてくる「左に曲がります」の繰り返し音声も、これと同じ。三つ目は、わざわざ書かなくてもいいような人間不信型のメッセージだ。「監視カメラ作動中」などはその典型だが、電信柱ごとに貼り出された禁煙ステッカーも集団ヒステリーっぽい。

禁止サインを貼り出す背景には、それぞれ事情や理由がある。でも、赤白黄黒のどぎついデザインで、目立つことばかりを意識するのは考えものではないか。轟音のなかで生活していると、やがて慣れて鈍感になっていくのと同じで、「禁」だらけの街になってしまったら、だれメッセージ内容を意識しなくなる。美観・景観を損なうだけではなく、その街に暮らす人々に街への愛着をなくしてしまいそうな気もする。

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コメント

ハタさま、こんばんは
エジプト情勢がかなり緊迫しながらも、本日各紙朝刊一面が「八百長」一色で、読む側の問題なのか書く側の問題なのかわかりませんが、新聞というメディアの先行きが暗示されるかのような日でした。

さて、電信柱ごとの禁煙ステッカーが何故「人間不信」タイプの禁止標識に分類されているのか私には納得が行きません。察するにその通路は路上喫煙が禁止となっている地区であろうかと思われますが、そうであるならば、その地域においては「喫煙者の快」を(大きく)上回る「その他多数が被る害」が認められているわけであり、最初に例示された「直接被害」タイプにより近いのではないか、と私は思います。煙、失火、吸い殻・・・・

投稿: 信州人 | 2011年2月 3日 (木) 23時01分

信州人さん、
 煙害を訴えている人にしてみると、禁煙ポスターが訴えかけている内容は「正当」なものなので、この内容を「人間不信」とカテゴライズされると、さぞかし気分を害されたのかもしれませんね。
 わたしが吐き気を覚えたのは「たばこを吸うな」という主張内容ではなく、そのステッカーやポスターの常軌を逸した貼り出し方です。音声にたとえると、「そんな大きな声で何度も何度も言わないてくれますか」というゲンナリ感です。(なので、言説内容が禁煙でなくても、同じ気持ちになると思います)

投稿: 畑仲哲雄 | 2011年2月 5日 (土) 14時10分

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