いまこそ『スローネット』とヴィリリオか
デジタル技術によって「加速」されるネット世界と現実世界を、肯定的に受け止めようと危険視しようと、わたしたちはもはやそこから逃れて生きることはできない。気がつけば、そういう段階にさしかかってしまった。そんなわたしたちの社会環境に、情報学環の西垣通先生の『スローネット:IT社会の新たなかたち』(春秋社)は、「身体性の回復」、「ローカリズムの重視」、「老いることの意味」について鋭く問いかける。「スローネット」という考え方は論争的だ。
西垣通(2010)『スローネット:IT社会の新たなかたち』春秋社.
ヴィリリオ,ポール(1998)『電脳世界:最悪のシナリオへの対応』産業図書.
領域が微妙に違っていたため、わたしは西垣先生の授業に出る機会を逸してきたが、大学院入学前には少しはSFを含む小説類も努めて読んできたし、理系っぽい話題は苦手ではなかった。というか好きだった。じぶんでも純和風サイバーパンクのドタバタ系小説を紙と電子で出版したことだってある。なので理系出身の先生の本は、現代思想系のような〈分かったような気になりやすい〉概念操作モノとは違って、とてもフィットする。
エッセー形式で自分語りをしながら綴られる第1章「スローネットでいこう」は「速度と権力」という小見出しの節で結ばれている。そこで紹介されているのは、ポール・ヴィリリオの思想だ。わたしも10年以上前にヴィリリオ『電脳世界』を読んだが、ダイヤルアップ+テレホーダイ時代に生きていた当時は、著者の「速度」への過度なこだわりと悲観的な未来像を実感できなかった。でも、いまのわたしたちは「ファストネット」がさらに加速する情報世界のまっただ中にあって、身体性やローカリティを見失い、老い方までわからなくなってしまっている。不幸なことに、わたしたちの暮らしがヴィリリオの警告に追いついてしまった。
『スローネット』のエッセンスをブログでやツイッターで〈瞬時〉に〈大量〉に伝播させるのは西垣先生の意図に反するので、これ以上はあれこれ書けないが、できればわたしもPCやスマートフォンやKindleを遠ざけて、温泉旅館の露天風呂に浸かりながらながらこの本をゆっくり読みたい。
(献本いただきながら、ブログで記事にするのが今ごろになってすみませんでした)
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コメント
どうも宣伝ありがとうございます。むしろ、あつかましくてすいません。
ソーシャルメディアにたいしては、スローネット的にはどういうスタンスがとれるでしょうかね?
スローとITを共存させるというのが本書のテーマなので、
必ずしも対立しないし、させる必要はないのではと、僕は個人的には思ってはいるのですが。
西垣先生に、聞いてみます。
投稿: はるあき社 編集担当 | 2011年2月25日 (金) 13時45分