事例研究とリサーチクエスチョン(備忘録)
社会科学の古典的研究法に「ケーススタディ(事例研究)」と呼ばれるものがある。ただ、それは必ずしも文系の研究者だけが用いる用語ではなく、かなり広く一般的にも使われているため、不用意に「わたし、ケーススタディをやってます」などと表明すると、「だからぁ、どんな方法でケーススタディやってんのか聞いてるんだよ」などと応答され、答えに窮してしまうこともある。「客観的な観察者」の立場を堅持しようとするジャーナリストを長くやっていると研究法についての自覚がなくなり、アカデミズムの世界に迷い込んだとき、この問題でつまずきやすいように思える。
ノーマン・K. デンジン; イヴォンナ・S. リンカン編 (2007) 『質的研究ハンドブック〈2巻〉質的研究の設計と戦略』平山満義;藤原顕(訳), 北大路書房.
というのも、近年はコンピューターを用いたディスコース分析や、グラウンデッドセオリーとよばれる新しい理論構築の手法が開発されている。「語り」の権威性を暴くサバルタン研究とか、対象の一員と化した自分の変化を記すエスノメソドロジーというやり方もある。どれも尖っていて格好いいけれど、「ケーススタディ」は、地味で古くさい。そもそもそれって調査法と呼んで良いのかという指摘もなされる。わたし自身、研究法と呼ぶのをためらっていた。
じつをいうと、わたし自身も当初は、研究法オタクみたいな人を羨ましく思う半面、心のどこかで「四の五の言ってないで現場に行ってこいよ」と嗤っていた。だが年数を経るにしたがい、社会を調査する者は社会の外側に立つことは不可能であり、社会内部から社会を把握した証として論文を記述するには、どういう手続きでどのように調査をおこなったのかというプロセスを明示なければならないということが、実感としてしみじみ分かるようになった。(さんざん叩かれたからですけどね)
「事例研究」について、どのように考えればいいのか。そんな問いに明快に答えてくれたのが定番の教科書でもある『質的研究ハンドブック〈2巻〉質的研究の設計と戦略』のなかでロバート・E・ステイクが記していた以下の記述である。
事例研究は、質的探求を行うための最も一般的な方法の一つとなってきたが、それは新しくもなければ、本質的に質的であるというわけでもない。事例研究は、方法論的な選択ではなくて、対象の選択なのである。どのような方法を使ったにせよ、私たちは当該の事例を研究しようとして選ぶ。その事例は分析的にあるいは総合的に、測定の反復によって全体的にあるいは解釈学的に、組織的にあるいは文化的に、そしてまたそれらの方法を複数持ちながら研究することが可能であろう。(p.101)
事例調査で重要なことのは、調査者が調査対象として、なにを選択したのか、その選択はどんな理由や仮説に基づいているのか、であろう。森羅万象から、特定の対象を選んだ瞬間、心の奥底に一粒の種が蒔かれている。それがリサーチクエスチョンの種である。最初のころ、両者は不可分で渾然一体としているが、徐々にじぶんの研究の問いがはっきりしてくる。これが固まらないと、調査の範囲と深さが定まらず、トリビアルな隘路に陥ったり、無駄な計算で時間を浪費したり、逆に簡単に入手できるものだけで簡単に済ませたり・・・という問題が起こりかねない。このあたりの勘所は、表現しにくい。
こうした調査法や研究法に異様に気を遣うのが、社会学とその周辺の特徴なのだが、古くから方法と範囲が明確だった法律学や政治学、経済学などの分野からは、「メソドロジ-?なにそれ」的な感じになるのではないかな。
追記
最初から「方法」を決めておいて、その方法に最適の研究をするのが最も無難な論文が書けるかもしれない。それはそれで、難しいことだとは思うが、格闘技でいえば相撲のような感じがする。他方、最初に、表現しがたい好奇心や怒りがある場合、それを形にする「方法」を同時に考えなければならない。いろんな方法を総動員できる研究者は、総合格闘技とかストリートファイトの達人かもしれない。
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