ジャーナリストの道徳的ジレンマ(1)(備忘録)
ジャーナリズムの問題を考えさせられる事例が立て続いて起こった。1つは、千葉で起こったバスジャック事件で、警察に報道腕章を貸与したジャーナリストの事例。もうひとつは、沖縄防衛局長のオフレコ発言(失言)を報道したジャーナリストの事例。当事者となったジャーナリストには、さぞ重い決断であったと考えられる。もちろん、2つの事例は内容も構造もまったく違う。さまざまな視点から論じることはできると思うし、この2事例を並べることに違和感をもつ人も多いと思うが、ここではジャーナリストの道徳的な部分に焦点を当てて考えてみたい。
マイケル・サンデル教授は、「ハーバード白熱教室」第1回講義で、暴走トロッコの進路をえて犠牲者を変更することが「正義」にかなうかどうかを学生に考えさせた。トロッコを放置すれば線路上にいる5人は死ぬ。だがレバーを操作して進路を変えれば、その5人は助かるが、切り替えた先にいる別の1人が犠牲になる。この講義でわたしの脳裏をよぎったのは、「客観的」報道というものの道徳性であった。
客観報道の原則に忠実なジャーナリストであれば、トロッコの路線を切り替えることなく、5人犠牲の惨事をニュースにする。ジャーナリストは環境監視者であるべきで、みずからが実行行為者となることを許さない。しかし、そうした客観報道のあり方が、社会全体の道徳感情に適うとは限らない。なぜなら、サンデル教授が学生に「トロッコの進路を変える/変えないのどちらが正義にかなうか」と挙手を求めたところ、大多数の学生が進路を変えるほう――すなわち実行行為者になること――に手を挙げたからだ。
暴走トロッコの話は、功利主義という政治思想が、人間の道徳感情にかならずしもフィットしないことを示す例として提示されたものであるが、では、バスジャックの事例とオフレコ失言報道の事例について検討してみよう。ただし、考え方の筋道を明確にするため、実際におこった事実関係の細部は省略し、ある種のモデル化をおこなう。
事例1)ある日ある時ある町で、刃物をもった男が路線バスに乗り込み、乗客と運転手の2人を人質に立てこもった。捜査員は男が投降するよう説得したが、男は「マスコミを呼べ。さもないと人質を殺す」と言った。捜査員は、近くにいた記者に「犯人逮捕のため、人命救助のため腕章を貸して」と頼んだ。一刻一秒を争う事態であり、その記者は、だれにも相談する余裕がない。仮に上司に相談したとしても、瞬時に決断が下される可能性はあまり高くはない。自分が犯人の男の前に行き、言い分を聞くとともに説得を試みるということも脳裏をよぎったが、事件捜査のプロでもない自分がしゃしゃり出て、目の前で人質が殺されでもすれば、と想像すると足がすくむ。瞬時に下さなければならない決断は、「貸す/貸さない」の二者択一と仮定する。
ちなみに、このような場面に遭遇したジャーナリストには「客観報道」は不可能となる。捜査員から「腕章を貸して」と頼まれた時点で、観察者というよりも、当事者性を意識せざるを得なくなるからだ。つまり、腕章を貸すことも、貸さないことも、そのジャーナリストから客観性を剥奪する。具体的にいえば、腕章を貸さなかったとしても、貸したとしても、その決断が、①犯人逮捕につながった/つながらなかった、②人質殺害につながった/つながらなかった――という帰結の原因のひとつとなるからである。
上記は、客観報道の規範をめぐるジレンマを示すものであるが、「腕章を貸して」と頼まれたジャーナリストには、もうひとつの思いが頭をもたげるはずだ。それは職業人以前の、ふつうの生活者・市民・住民としての道徳感情である。目の前で2人の命が暴力によって危機にさらされていることへの道徳的な要請をどうするか、という重大な問題である。つまり、そのジャーナリストは「記者として」という立場をもつと同時に、「市民として」という立場にも立っている。
バス内で人質になっている人が、地球の裏側に暮らしている縁もゆかりもない他人ではなく、自分が暮らしている町の人であれば、「隣人として」という立場も生じるだろう。もしも人質が、自分の家族であれば、「親族として」という立場が生まれる。そうした関係性は、たまたま雇用契約を結んでいるだけの会社や、その業界団体が奉じる「客観報道」の慣習などよりも「強い評価strong value」(チャールズ・テイラー)が召還されることはありうる。
数少ない事例で結論を下すのは危険であるが、わたしの見聞きした範囲でいえば、「主流」「大手」「一流」「エリート」などと形容されるメディアのジャーナリストほど、腕章を貸すことに懐疑的であり、「ローカルな」「地域に根付いた」「地元密着」を謳うメディアのジャーナリストほど貸すことに同意する傾向があるように思えた。どちらが絶対的に「正義」であるとはいえない。それゆえ、この問題をめぐる議論は、掘り下げて考えることができるはずだ。(続く)
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