「寝てたら起こされるかな」
昨夕、気分を変えて喫茶店で本を読んでいると、隣にいた老夫婦とみられる男女が席を立った。男性のほうが、通りがかったウェイトレスを呼び止めて、小声で訊ねた。「この店の前で寝てたら、起こされるかな」。ウェイトレスはすこし困った表情で「ほかのお客様もいらっしゃいますし、店の前はちょっと」と言った。年の頃なら50代半ばから60歳くらいの男女は、テーブルの下に置いていたリュックやボストンバッグ、そして、コンビニのビニール袋を5つ6つを手に静かに店を出て、寄り添うように駅のほうに向かって歩いて行った。2人は住むところを失ったホームレスだったと思う。わたしは財布を握りしめたまま何もできなかったことを情けなく思った。
佐藤俊樹(2000)『不平等社会日本――さよなら総中流』、中公新書
井上達夫(2001)『現代の貧困』、岩波書店
神戸幸夫・大畑太郎(1999)『ホームレス自らを語る』、アストラ
岩田正美(2007)『現代の貧困――ワーキングプア/ホームレス/生活保護』、ちくま新書
佐野章二(2010)『ビッグイシューの挑戦』講談社
国立国会図書館から取り寄せた小難しい論文の複写と、大学図書館で借りた本を机に積み、心穏やかにコーヒーを飲みはじめたとき、わたしは、左隣のテーブルで向かい合っていた男女のことなど気にもとめなかった。ただ、断片的に言葉は聞こえていた。「しかたねえさ」という男の声。「勉強をしなさい」という女の声。ただ、聞き耳を立てていたわけではないので、どんな話をしていたのかわからない。わたしは意識的に人の声を遮断していた。
30分くらいたっただろうか。2人が席を立とうとしたとき、男性の黒のズボンがかなり薄汚れていたことに目が行った。女性がたくさんの衣類を重ね着をしていたことも妙に変だな思った。不自然なほどの荷物も、異様であった。男性がウェイトレスに向かって、“店の前で寝ていたら、起こされるだろうか”と訊ねたのは、その瞬間であった。その声はしっかり聞こえた。論文を読むどころの気持ちではなくなった。店の前で寝るとはどういうことか。それは帰るべき家を失い、野宿をするということにほかならないではないか。
寒い日が続くと、暖をとれない人たちとじぶんとの差違を思わざるをえない。運悪く住む場所を追われ、河川敷や橋の下などで暮らす人たちにとって、寒さは生命の危機に直結する。「結果の平等」をもとめない社会において、差違・格差が生まれることは避けがたい。だが、格差は必ずしもすべてが個人の努力の結果ではない。人は生まれてくる時代や地域、親を選べないし、どんな遺伝子を授けられるかは運次第である。「成功者」を自認する人たちは「努力の結果」と考えがちである。そうした人たちによって統べられる社会は、不運な星の下に生まれてきた人にとって生きづらい。もとい、生きられない。
J.ロールズは格差原理を構想するにあたり「無知のヴェール(Veil of Ignorance)」という思考実験を提示した。わたしが無知のヴェールに関心をもったのは、じぶんが最低最悪の運を負って生まれてきたかもしれないという可能性を思い起こさせてくれるためだ。もっとも不遇な人に、もっとも大きな便益が与えられるような仕組みには、万人が「合意」するであろう。これがロールズのいう「正義」であり、リベラルな平等を実現するための基本的な考え方である。
しかし、それはあくまでも思考実験であり「勝ち組」は決して無知のヴェールをかぶる契機をもたない。富者の子供は富者に、議員の子は議員に、学者の子は学者に、医者の子は医者になることが少なくない。職業が同じでなくとも社会階層が相続されている例を、わたしたちはいくらも知っている。リベラルな平等の理想など、書物の中だけの寓話にすぎない。有限の富と地位をめぐる椅子取りゲームで、ある一族は勝ち続け、負け続けている一族に対して「自己責任」「努力が足りない」「怠け者」「好き嫌いいわずに働け」と言われる。不可視化され、異議申し立てをする機会を得られない。そうした社会が「うまくいっている」とはいえない。
「うまくいっている(well-being)」と形容される社会はいかにして可能か。それは、自分が生かされていると地域(community)と自分との関係を再確認することからはじめるしかない。隣人たちへの関心――身近で困っている人を無視しないことからはじまり、困りごとを解決するためのルールを作っていくことにほかならない。職能関係の人的なつながりが強い都市では――上記の例で言えば、富者は富者と、議員は議員と、学者は学者と、医者は医者と――同質性の高い人たちと過ごす時間が多い。つまり、異なった社会階層の人たちと苦楽をともにしたり、支え合ったりする機会に恵まれない。
不意打ちのように、昨夜、困っていであろう人たちを目の当たりにしたのに、わたしは何もできなかった。にわかに汗ばんだ掌の感触と、忸怩たる思いは、しばらく忘れられないだろう。せめてネットカフェで2~3晩泊まれる金額を与えるべきであった。行政の相談窓口を紹介し、ホームレスや貧困の問題に取り組んでいる市民活動団体やNPOとも連絡を取るべきであった。ふだんは、civic virtueとかなんとか言っているくせに、ほんとうに情けない。砂粒のごときアトム化された身であるが、袖ふれあうも多生の縁という諺を忘れまじ。
■重要な追記■
東京都福祉保健局 生活保護
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/seikatsu/hogo/index.html
特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・もやい
もやいホットライン 03-3266-5744(火曜日・金曜日のみ)
http://www.moyai.net/
全国のホームレス支援団体HP一覧表
http://www.asahi-net.or.jp/~kg8h-stu/sien-danntai.html
NPO法人ホームレス支援全国ネットワーク
http://www.homeless-net.org/html/members.html
加納眞士『ホームレスを救援する100の方法』
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/homeless.html
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