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2012年5月 1日 (火)

最近みたドキュメンタリー映画

意識的にガマンしてきた映画鑑賞をゆるゆると再開しはじめた。最近みたのは、井手洋子監督『ショージとタカオ』(2010)と鈴木正義監督『医す者として』(2011)である。2作品は異なる視点から、異なる手法で作られており、並べて感想を述べる蓋然性はないが、たまたま続けて観る機会があったので、考えたことをつづってみたい。

井手洋子監督『ショージとタカオ』(2010)
  井手洋子『ショージとタカオ』(文藝春秋,2012)
鈴木正義監督『医す者として』(2011)
  南木佳士『信州に上医あり―若月俊一と佐久病院』(岩波新書、1994)
  若月俊一『村で病気とたたかう』 (岩波新書、2002)

『ショージとタカオ』は、布川事件の「犯人」として無期懲役の判決を受けた桜井昌司さんと杉山卓男さんの2人を追いかけ続けた作品である。長年にわたって獄中生活を強いられたショージとタカオに失礼かもしれないが、映画の感想を一言でいえば面白かった。仮釈放されたショージとタカオが普通の生活を取り戻しながら、再審請求を経て無罪を勝ち取るまでの日常。ショージとタカオに微妙な距離で寄り添う監督にも好感が持てたし、司法が直面する課題も伝えてくれている。申し分ない内容である。

冤罪関連の映画でもっとも有名ものは、正木ひろし『裁判官――人の命は権力で奪えるものか』(光文社カッパブックス、1955)を原作とする今井正監督『真昼の暗黒』(脚本・橋本忍、現代プロ、1956)が挙げられる。最近では周防正行監督『それでもボクはやってない』(東宝、2007)が話題になった。『真昼の暗黒』は、警官が被疑者を虐待して「自白」を捏造する場面が描かれていたが、『それボク』では「自白」しなかった「無実」の被疑者から見た人質司法の問題が鋭く問われていた。

『ショージとタカオ』が上記2作と異なるのは、それがドキュメンタリーであり、ショージとタカオが等身大の人間として描かれていたこと。聖人君子でもなく、かといって極悪非道な人手もない。「若い時分にちょっとヤンチャしていました」という人は、いたるところにいる。2人はそういうふつうのオジサンであり、作品のなかでもかつてチンピラであったと述べている。そんな2人はウソの「自白」を強要され、無期懲役の判決を受けた。

違法捜査も恐ろしいが、事件付近で2人を見たという「目撃」証言をどう考えればよいのか。証言したのは地元住民であり、その証言が自由意思にもとづくものか、警官の誘導によるものかは、作品からはうかがい知れない。だが、どちらにせよ、そのような「証言」で「犯人」にされる事態は誰にも起こりうる。そして、ウソの証言をした人はもちろん、警察、検察が謝罪していないという事実がなによりも怖い。

『医す者として』は、長野県佐久市の佐久総合病院の映画部が作っていた記録映画を再編集しながら制作したドキュメンタリー。佐久総合病院の地域医療は、故若月俊一氏によって確立され、若月氏の思想と実践に共鳴した医療者たちがいかに受け継いできたかが綴られている。かつて佐久平には、敗戦後まもなく開拓農民が多数移住した。きびしい自然環境下での農作業は農民たちの健康を著しく害した。若月氏たちは、医療と縁遠かった当時の農村に積極的に出張して検診をおこなうだけではなく、素人芝居によって病気予防の啓発をおこなっていた。病気の治療にとどまらず、社会変革を目指したその実践は、(誤った認識かもしれないが)定住型チェ・ゲバラのように思えた。

東京・神田に生まれ、東大医学部を出た「エリート」の若月氏と、佐久の開拓農民たちとの間に、なぜ善い関係が築けたのか。若月氏がなぜ佐久に骨を埋める決意をしたのか。それらは若月氏本人や関係者らの書物を読めば分かることかもしれないが、個人的な関心を覚えた。ただ、この映画は若月氏だけに焦点を当てたものではなく、彼の思想と実践によって形成された佐久総合病院が今日、直面している問題についても言及されている。

興味深かったのは、若月氏が後進の人たちに二足のわらじを履けと説いていたことである。すなわち、高度な医療をおこなう専門家であり、地域の一員として地域改善にも尽くすべし、という若月氏の実践倫理である。専門知識や技能の持ち主と、最新の設備があれば、それで事足りるわけではない。地域住民が抱えている問題を発見し、解決するには、医療者は彼ら・彼女らのよき隣人でなければならない。医療の地域化と民主化には、患者や地域住民の関与や参加がなければ完成しないという若月氏らの理念は傾聴に値する。

2作品をみたあと、ある共通点に気付いた。2作品では、ともに地元のマスメディアがほとんど描かれていないのである。布川事件の現場は茨城県南部、千葉県との境を接する北相馬郡利根町で、両県都から遠い。そこは『茨城新聞』の到達地域であると思われるが、事件当時、この地域にジャーナリストはどれくらいいたのだろう。地域紙のようなメディアは存在したのだろうか。「なにか変だ」「どこかおかしい」という声を上げるひとは一人もいなかったのだろうか。他方、佐久平では1980年代にはいってから小諸新聞社系列の『佐久市民新聞』が創刊されているが、おそらく『信濃毎日新聞』が圧倒的なシェアを確保してきたと思われる。地方紙はどのように関わってきたのだろう。映画終了時のエンドロールに登場するメディアは、たしかテレビ東京だけであったように記憶する。若月が地域のマスメディアとどのような関係をもっていたのかが気になる。

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コメント

若月医師の実践については、ご感想の通りだと思います。
ブナ・ナロードの実践。
ただ、それがセツルメント的な視野ではなく、まさにおっしゃるように地域の中でともに生きるという意味での追求をなさっていたように思います。
ともに生きるの中には、住民にもまた医療を作る主体であることを求めることが含まれる。

医師・医療者だけでは達せられないもの。
それだけに、継承してゆくことが難しい。

投稿: ママサン | 2012年5月 1日 (火) 22時10分

>ママサンさん、

まさに、Хождение в народですね。
ジャーナリストたちも触発されますね。
地域ジャーナリズムも、記者や編集者だけでは達せられないものですから。

投稿: 畑仲哲雄 | 2012年5月 1日 (火) 23時02分

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