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2012年5月15日 (火)

最近みたドキュメンタリー映画(その2)

社会的マイノリティを対象にしたドキュメンタリー2作品を観賞した。1本目は遠藤大輔監督『渋谷ブランニューデイズ』(2011)で、2本目は刀川和也監督『隣る人』(2012)である。わたしは映像表現の文法や撮影・編集の技法について熟知しているわけではないが、この2作は対照的に思えた。『渋谷ブランニューデイズ』は数十年にわたってホームレスにまつわる社会事象に関わってきた監督自身のメッセージが明確に伝わる作品であるのに対し、『隣る人』は児童養護施設の子供と福祉士に徹底して寄り添うことに徹しているような不思議な作品であった。もしわたしが2つの対象を取材し、印刷媒体で表現するとすれば、どのように表現していただろう。


遠藤大輔監督『渋谷ブランニューデイズ』(2011)

  ドキュメンタリー映画「渋谷ブランニューデイズ」予告編(YouTube)
  反貧困ネットワーク ドキュメンタリー映画 『渋谷ブランニューデイズ』
  DROPOUT TV ONLINE
刀川和也監督『隣る人』(2012)
  映画『隣る人』予告編(YouTube)

『渋谷ブランニューデイズ』は、渋谷区役所の地下駐車場に段ボールハウスを作り助け合って生きようとする人々たちの闘いを伝えることで、ホームレスに冷淡なわたしたちの社会のあり方を問う。主人公は、かつてホテルで働いていた中年男性で、不況のために仕事を失い、住む場を追われたと説明される。ホームレスになった当初は危険な目にもあったが、やがて渋谷区役所の地下駐車場(通称チカチュー)で共助的なコミュニティが存在することを知り、そこに加わる。他方、区役所はさまざまな手を使ってホームレスをチカチューから排除しようとする…… むろん「ホームレス=善/区役所=悪」というような構図で描かれているわけではない。問われているのは、ホームレスを生みだし、を助けようとしないわたしたちの社会のあり方である。作品のなかでは、人々が住む場所を失っていく構造や、東京都内や渋谷のホームレスの概数、さらには、かつて新宿西口でホームレスが排除されたときの映像も用いられ、貧困問題を立体的に考えさせてくれる良質な社会派作品に思えた。

もしわたしが、ストーリーを活字で表現するとすれば、どのような描き方をするだろう。そのとき思い出されるが中村智志『段ボールハウスで見る夢―新宿ホームレス物語』(草思社、1998)でである。うろ覚えだが、中村はこの作品のなかで、いわゆる〈わたし語り〉をしていた。一流新聞社に勤務する中村がどう感じたか、中村がいかに考えたか、中村の社会観がどのように変わったか――が作品をつらぬく中心軸となっていた。終盤で、新宿地下通路でホームレス取材をしているとき、酔ったサラリーマンふうの男が少し離れた場所から「おまえら甘えるな」というような御高説を垂れて逃げるように去っていく場面が象徴的に描かれており、この場面がこの作品の一番の高みであるように思えた。すなわちホームレスから見た社会をホームレスに語らせるのではなく、媒介者の中村自身が語っているのである。

映像のドキュメンタリーで、〈わたし語り〉こうした手法は多くはない。遠藤作品で中心的に絵が描かれる男性は饒舌な語り手であり、遠藤監督は彼が語る世界と彼らの暮らしを、ありありと感じさせるようさまざまな工夫を凝らしている。むろん『渋谷ブランニューデイズ』の実質的な話者は監督自身なのだが、力強い語り手の存在によってストーリーが構成され、監督はどちらかといえば黒子に徹しているようにみえた。それはドキュメンタリー映画という形式にのっとった描き方なのかもしれない。上映会の後、遠藤監督と「特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい」の稲葉さんとのトークもあり、たくさん触発された(ありがとうございました)。チカチューのような場所を発見し、撮影し、人々に伝える活動を続ける遠藤はジャーナリストと活動家が一体となっている人に思えた(そもそも両者は不可分な関係にある)。

他方、『隣る人』を撮った刀川監督は、アジア・プレス・インターナショナルに属し、アフガニスタンなどを取材してきた戦場ジャーナリストである。そんな刀川が、たまたま出合った埼玉の児童養護施設を長期間にわたって取材した対象は、子供たち保育士であった。この作品、テロップもナレーションもなかったように思う。子供たちは、刀川作品に顔を出すべきかどうかを判断できるほど成熟していない。そうした事情を考慮したためだろうか、さまざまな理由で実親と暮らせない「むっちゃん」や「まりな」たちは、それ以上アイデンティファイされない。作品はほとんど説明いまま始まり、だれが主人公なのかわからないまま進行する。むろん、刀川がなぜに「棄児」問題に関心を持ち、どう考え、なにに怒り、なにを訴えようとしているのかは明示されない。子供たちと保育士に寄り添いつづけた記録として作品は閉じていく。子供たちと保育士は饒舌ではないが、絵になるし、感情に訴えかける力はある。刀川作品は活字では不可能な様式を採ったのかもしれないし、まず、人々が知らないであろう世界を見せることに注力した作品なのだろう。

わたしは、短い期間ではあったが乳児院や児童養護施設をめぐって里親捜しの記事を書いた経験がある。さまざまな事情によって実親と暮らせなくなった子供たちに里親を探す社会運動団体があり、かつて勤務していた新聞社が運動に協力していたためである。この取材を通して、わたし自身、憤ったり怒ったりし、社会観も変わった。実親と暮らせなくなる子供たちが存在しないほうがよいが、そうした子供たちは厳然として存在する。わたしたちの社会は、この問題にどのように向き合えるか。乳児院や児童養護施設はそうした子供たちを引き受ける場となっているが、子供の立場からすれ場、施設よりも里親のもとで暮らすほうが好ましいのではないか――そんな運動団体から多くの影響を受けているわたしには、『隣る人』の世界に若干の戸惑いを覚えた。


■家庭養護促進協会の出版物■
  • 家庭養護促進協会『里親が知っておきたい36の知識―法律から子育ての悩みまで』(家庭養護促進協会神戸事務所、2004=2009)
  • 家庭養護促進協会『真実告知ハンドブック―里親・養親が子どもに話すために (さとおや・養親ブックレット)』(エピック、2007)
  • 家庭養護促進協会神戸事務所『里親になってよかった (さとおや・養親ブックレット)』(エピック、2005)
  • 家庭養護促進協会『信じあって親子・語りあって家族―里親・子ども・ケースワーカーの記録』(エピック、2001)
  • 滝口 芙美子著・家庭養護促進協会監修 『130本のテープ―週末里親17年の記録から』(エピック、2012)

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