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2012年10月19日 (金)

週刊朝日の「編集権」

橋下徹大阪市長の2012年10月18日の記者会見を見ての感想を述べておきたい。私が気にかかったのは、会見の場でも幾度か飛び出した「編集権」である。橋下市長が朝日新聞社の取材を拒否する根拠は、朝日新聞社が朝日新聞出版を所有しているという所有権に基づく。会見に参加していた記者のなかには、橋下市長が抗議する対象は「一義的には週刊朝日で、編集権は別」というような意見もあったが、日本新聞協会は「編集権」が所有者に帰属することを1948年の「声明」で明言している。このため橋下市長に対し、有効な反論ができなかったのではないか。

日本新聞協会が公表する「編集権」の概念は、CIEから「再教育」を受けていた新聞経営者たちが、読売争議に象徴される労働運動を抑えることを目的に急ごしらえした文言とされ、その政治性は一部の研究者から批判されつづけてきた。問題点をかみ砕いていえば、「編集権」は「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」に帰属し、編集方針に従わないジャーナリストを解雇できるという点にある。すなわち「編集権」は所有権概念に由来し、特定の記者や部局等に「編集権」を認めないという立場を堅持してきた。

橋下市長は、朝日新聞出版は朝日新聞社の100%子会社であることを強調しており、その取材拒否宣言は、日本新聞協会の「編集権声明」の考え方と通底する。これに対し、朝日新聞社のジャーナリストが「週刊朝日の『編集権』は子会社にある」と反論するのは、「編集権声明」と矛盾する可能性がある。

日本新聞協会の「編集権声明」は、「一夜普請のバラック」など揶揄されたこともあったが、見直しをしたり議論をしたりする機会が乏しかった。今日の現場記者は「編集権」の政治性に対する問題意識や知識を欠き、「編集権」という言葉を“ご神体”や“お題目”のように唱えてきたのではないだろうか。かつて日本新聞協会が宣言した「編集権」は、マスメディア企業の内部部局である編集局や編集部といった組織にはなく、所有者や経営者に奪われたままになっているということを、あらためて肝に銘じておきたい。

1時間後の追記:
ちなみに、わたしは問題となった週刊誌の記事を読んでいないので、内容については何も言えないが、もし橋下市長が主張するとおり、部落差別を助長する内容であれば、それは取材拒否問題とは別に、メディア間/ジャーナリスト間の相互批判があってもよいと思う。

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