学位取得決定と就職決定のご報告
ブログの更新が長らく滞っていたのは、ふたつの挑戦をしていたためです。ひとつは博士論文を完成させること。もうひとつはアカデミックポスト探しです。いま、それらがようやく一段落しました。博士論文の題は『ジャーナリズムにおける〈地域〉という立脚点――地域紙とNPOの「協働」に関する事例研究』です。審査の結果、博士(社会情報学)が決定したという連絡を指導教員の林香里先生からいただきました。学位取得に先だって、龍谷大学社会学部から准教授のポストをいただけることをも決まっていました。多くの人にお世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
わたしは1985年、大阪の関西大学を卒業したあと毎日新聞社に入社し、社会人生活をスタートさせました。毎日新聞社では、広島支局、京都支局、大阪社会部で、約5年を新聞記者としてすごし、その後、日経ホーム出版社(現日経BP)で雑誌編集の方法を学びました。その後、共同通信社に拾ってもらい、経済取材から船舶ニュースや映像音声、デジタル部門などの編集現場と管理職を次々と経験させてもらえる機会に恵まれましたが、2011年春、博士論文に集中するため通信社を辞しました。
このブログは、2004年の大学院の修士課程に入学して以降、空いた時間を使って更新してきたものです。そもそも修士課程に入学したきっかけは、わたしの将来に大きな不安を覚えていた同居人から「クビになっても食っていけるよう、せめてハクを付けておけ」と尻を叩かれた(蹴られた?)ことです。学問への情熱によるものではありません。大学院で面白そうな授業をつまみ食いして、さっさと中退するつもりでしたし、学問がジャーナリズムに役に立つなどとは想像もしていませんでしたから。
それがなんの因果か、3年かけて修士論文を書き、その後、博士論文を完成させるため、貴重な収入源たる会社まで辞めてしまいました。大学卒業後、分不相応にもジャーナリストの仲間入りをしたことを一度目の「無謀」とすれば、博士論文を書くというのは人生二度目の「無謀」でした。論文が完成する保証などありませんし、学位を取得したとしても、その後どうやって食べていけるか、なにも決まっていないのですから。50歳を越えた高学歴ワーキングプアは、さぞかし使いにくいでしょう。かといって、わたしに会社を興すだけの資本も商才もありません。
わたしの研究で原動力になったのは、現場の人たちの汗と涙です。修士時代にお世話になった神奈川新聞カナロコのみなさんや、鹿児島新報OBのみなさん、滋賀で県紙創刊に立ち上がったみなさんから多くを学び、同時に触発もされました。なぜに彼ら彼女らは、不利な条件をのなかで、偏見と闘いながら立ち上がったのか。そこにわたしはジャーナリズムの原点を感じました。つづく博士論文では、新潟県上越市の上越タイムス社とくびき野NPOサポートセンターの協働実践に衝撃を覚えました。これはいずれ単行本にしたいと思います。
個人的なことを長々と書きましたが、わたしの学問修行はまだ続きます。じぶん自身のちっぽけな経験やほろ苦い失敗談を、後輩たちや大学院入学を考えている現場のジャーナリストたちに伝えたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
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コメント
おめでとうございます。
艱難辛苦の日々であったろうなぁと、推察いたします。
今後ともますますご闊達なご発信のほどを。
投稿: ママサン | 2013年1月21日 (月) 13時36分
>ママサンさん、
ありがとうございます。
「艱難辛苦」といえば大げさですが、けっして楽ではありませんでした。
もっとも辛苦だったのは。論文審査と求職期間中に、余計なことを言ったり書いたりできなかったことです。誤解を招くことを自重していたのですが、腹くくるるわざ、でした。
これからもよろしくお願いします。
投稿: 畑仲哲雄 | 2013年1月22日 (火) 09時25分
おめでとうございます!
1月2月と人生初の長期入院、手術を体験することになり
今日初めてニュースを知りました。
時々は講義のおこぼれにもあずからせてくださいね(笑)。
ますますのご活躍をお祈りいたします。
投稿: ピノコ | 2013年3月18日 (月) 11時10分
おめでとうございます!
1月2月と人生初の長期入院、手術を体験することになり
今日初めてニュースを知りました。
時々は講義のおこぼれにもあずからせてくださいね(笑)。
ますますのご活躍をお祈りいたします。
投稿: ピノコ | 2013年3月18日 (月) 11時11分
ピノコさん、
長期入院なさっていたのですか!それはそれは、大変だったでしょうね。コメントをいただいたということは。手術はご無事に終わったのでしょうね。どうかくれぐれもお大事に。
投稿: 畑仲哲雄 | 2013年3月18日 (月) 14時48分