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2013年5月16日 (木)

「先生」より「さん」

長年にわたって「センセイ稼業」をしている人にとって「先生」と呼ばれることは自然なのかも知れないが、私にはしっくりこない。学生から「せんせー」と呼ばれるのは避け難いし、避ける必要もないだろう。だが、同年代や年長の社会人と大学の外で(喫茶店などで)お目にかかったときに「先生」と呼ばれると、「やめてぇな」と反応してしまう。わたしが自意識過剰なだけなのだろうか。同居人からは、すべての人を「さん」で呼ぶよう勧められており、わたしも「さん」が良いと思う。

参考
 「さん」と「先生」のあいだ (内田樹の研究室)
 札幌弁護士会 : 弁護士コラム 「隔週一言」 : 「先生呼称」

小中高の教員も先生であることに代わりはない。だが、わたしが違和感を覚える「センセイ稼業」は、医者、弁護士、学者、芸術家、宗教家、政治家である。これらの職業に共通しているのは権威だ。プロフェッション論の世界では、先生呼称をめぐる議論は幾百とあるのかもしれない。だが、わたしは門外漢なので、トンチンカンな推測にすぎないが、先生呼称の権威の源は、近代ヨーロッパに生まれた専門職に求められるような気がする。

英語は肩書きに関する言葉が多い。堅苦しくない場ではファーストネームで呼び合うくせに、オフィシャルな場ではミスター、ミセス、ミズ、ドクター、プロフェッサーなどの呼称・敬称は必須である。だが、日本でミスター、ミセス、ミズ、ドクター、プロフェッサーの呼称を付けることはまずない。ほとんどが「○○さん」でこと足りる。他方、高度な技芸を身につけた人は「師匠」の呼称がもちいられてきた。日本社会は伝統的に「肩書き」にこだわらない文化風土があったのではないか。

だが、日本が近代化するにあたり、ヨーロッパ由来の専門職である医者や弁護士や学者などが十把一からげに「先生」と呼ばれるようになり、政治家や一部の宗教家も「先生」になってしまった。そこで使われる「先生」は、学生・生徒が教員を呼ぶときに用いる「せんせー」とニュアンスが異なる。ある国会議員が有権者に対して「下々(シモジモ)のみなさん」と失言したように、そこに社会階層の格差が含まれている。

同居人によれば、日本にやってきた欧米人の一部は日本語の「さん」を羨ましがるという。なるほど、相手がだれであろうと「さん」でこと足りるというのは便利だ。なによりも「さん」は平等志向であり、階層を無化する作用をもつ。わたしは今後、可能なかぎり「さん」を用いることにしようと思う。ただ、ただ、全員が互いに「センセイ」と呼び合うことが慣習化している閉鎖的な社会空間で1人だけ「さん」を使い続けると、浮きまくるだろうなあ。

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