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2013年5月24日 (金)

法の落とし穴と『コリーニ事件』

「過去を直視する」とはどういうことだろう。地元ラジオで豊崎由美が絶賛していたシーラッハの『コリーニ事件』を読み、それがどれだけ難しいかをあらためて思い知らされた。日本では一部の政治家が「日本も悪かったけど、あなたがた、過去を直視しなさいよと言うのが日本の政治家だ」などと主張しており、暗い気持ちにさせられることが多い。そんななかで『コリーニ事件』のような作品を翻訳・出版してくれた訳者と版元に感謝したい。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』(酒寄進一訳、東京創元社、2013)


ネタバレになるから、へたに内容について触れることは避けたい。「BOOK」データベースの文章は以下の通り。

2001年5月、ベルリン。67歳のイタリア人、コリーニが殺人容疑で逮捕された。被害者は大金持ちの実業家で、新米弁護士のライネンは気軽に国選弁護人を買ってでてしまう。だが、コリーニはどうしても殺害動機を話そうとしない。さらにライネンは被害者が少年時代の親友の祖父であることを知り…。公職と私情の狭間で苦悩するライネンと、被害者遺族の依頼で公訴参加代理人になり裁判に臨む辣腕弁護士マッティンガーが、法廷で繰り広げる緊迫の攻防戦。コリーニを凶行に駆りたてた秘めた想い。そして、ドイツで本当にあった驚くべき“法律の落とし穴”とは。刑事事件専門の著名な弁護士が研ぎ澄まされた筆で描く、圧巻の法廷劇。

この「法律の落とし穴」とは、ドイツ刑法の一部改定によって、もともと謀殺犯として裁かれてきた人たちの一部が、たんなる幇助犯として扱われるようになったことがもたらしたことを意味する。法が改定されたとき、それが及ぼすであろう悪い影響を、だれもが見過ごしていた。裏を返せば、法の改定を準備した人は、その後に生じるであろういくつかの影響をしっかり見越していたと考えられる。あたりまえのことだが、それはドイツ社会にとどまらず、ナチの犯罪に巻き込まれた全ヨーロッパに波及するものであった。

『コリーニ事件』は法廷サスペンスである。だが、読者を面白がらせ、痛快な気分にさせることを目的とした作品ではない。いまを生きるわれわれに法と社会のあり方を考えさせる道徳的な内容を含んでおり、過去を「直視」することの意味を問いかけている。もしも、この作品が「ドイツも悪かったけど、あなたがた(英米仏など・・・)、過去を直視しなさい」というような浅薄なものだったら、だれの心も揺さぶらなかっただろう。

ドイツの法律家の手による小説としては、ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(松永美穂訳、新潮クレスト・ブックス、2000年)
が思い出される。この作品はのちにスティーヴン・ダルドリー監督によって映画化され、2008年に『愛を読むひと』の邦題で日本でも公開された。そこで描かれているのは、法律家の主人公と、戦時下に収容所の看守だった女性との関係である。むろん通俗的な恋愛小説ではない。物語は、戦中世代と戦後世代、加害者と被害者、社会階層の上下など、相互理解や和解がけっして容易ではないいくつもの対立図式を参照しながら描かれている。歴史認識をめぐる排外主義的言説にゲンナリしている人には、こちらもおすすめしたい。

追記

憂慮すべきは、一部の自治体首長や政治家による罵倒の横行である。特定の組織やひとを口汚く罵るやり口はマスメディアの耳目を集めやすい(メディア側もそれを期待してきた面がある)。彼らの過激な言葉は、屈折した日々を送る人たちの溜飲を下げさせる効果をもっているかもしれない。嘲りや罵りの言葉は、妬み・そねみ・ひがみ・復讐心・猜疑心などの感情を増幅する効果があるだろう。だが、人を励ましたり、内省を促したり、感動を呼び覚ましたりする力を持たない。自戒を込めて,そう思う。

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