行儀作法のせんせい
昨夜、鹿児島県の郷土料理店で食事した。薩摩弁の女将が数人の学生アルバイトを雇って切り盛りしている小さな店で、学生バイト店員の対応がとても気持ちよかった。この女将の存在を知ったのは、ことし2月のことである。出張先の金沢で偶然出会った女性が「滋賀の大学で勤務されるのなら、ぜひママの店に行ってください」と熱心に薦められた。そして昨夜ようやくその約束をはたせたのである。
学生時代に彼女は女将のもとでバイトをしていた。「ママさんはわたしに行儀作法を叩き込んでくれた恩人です。とても厳しい人でしたが、今しみじみ感謝しています」という。彼女にとって、女将からしごかれ鍛えられた経験が、学生時分のもっとも大切な思い出であり、それが現在の仕事に役立っているそうだ。「大学では教員から学問を授かったのでしょう。それらも役に立っているのではないですか」というわたしの問いかけを、彼女は軽く受け流した。
大学生は生意気盛りの年齢である。大学に入学すれば大人扱いされる。入学時には不安もあったであろう彼・彼女たちらも、やがて大学のルールに慣れて自由を謳歌するようになる。大学には「生活指導の先生」のような人はない。好きな本を好きなだけ読み、わくわくする研究をする心ゆくまでする自由がある。その一方、スポーツやサークル活動に没頭したり、授業をサボって遊びほうけたりするような自由もある。自由をどう使うかはじぶんの裁量で決められる。裁量権が増えると、精神的に成熟したような錯覚に陥るのも無理はない。
大学は知を授ける重要な責務を負っている。しかし大学は学術共同体であり、学生の人格形成や精神的な成熟をかならずしも促さない。そんな学生たちを鍛えてくれているのは、おそらく先述した女将(ママ)のような大人たちなのだ。言葉遣いや頭の下げ方にはじまり、生活態度やお金のありがたみ、社会の厳しさを授けてくれているのであろう。金沢で出会った彼女は女将からたびたび叱られ、ベソもかいたが、厳しいだけではなくなんでも相談できる尊敬すべき人物であった。彼女の場合はバイト先の雇い主が第2の育ての親であったといえる。
昨夜そんな話を女将に伝えたところ、「ああ、○○ちゃんね。よく覚えてる」とつぶやき、ふと目をうるませた。学園都市ならどこにでも転がっていそうなありふれた話かもしれない。だが、わたしにとって、ここ数ヶ月でいちばんエエ話。こういう女将からじっくり話を聞き、学生と接するポイントを学んでみたい。
(女性が特定されないように細かいことを書きませんでしたが、この一件にはさらなるショッキングな話や教員にとって戒めとなるような教訓もありました)
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