EPIC2014から10年
アメリカの若手メディア研究者M・トンプソンとR・スローンが10年ほど前に作ったEPIC2014という動画がある。一部のマスメディア関係者は、この動画に込められたメッセージに触発されたり、当惑させられたりした。しかし、この動画が警告する技術面決定論的な世界をわたしたちは生きているようには思えない。ディストピアもユートピアも到来しなかったし、テレビや新聞などの旧メディアはIT企業と共存している。この動画が描いてみせた近未来のコミュニケーション(無)秩序は大幅に外れた。しかしこの動画が2014年の私たちにしてくる最大の貢献は、「10年後」のいま、どこか浮き足立っていた当時の社会情勢をふり返る契機を与えてくれたことかもしれない。
Robin Sloan and Matt Thompson, EPIC 2014, http://www.robinsloan.com/epic/
EPIC 2014 日本語字幕版 http://www.youtube.com/watch?v=Afdxq84OYIU
“Google+Amazon=Googlezon”の出現を予言するムービー「EPIC 2014」を読み解く http://i.impressrd.jp/e/2008/04/11/482
2004年はオンライン世界では新旧交代ともいえる現象が相次いだ。niftyがパソコン通信サービスを縮小する一方、2ちゃんねるは開設から5年を迎え急速に拡大していた。ネット世界でおこなわれる人々のコミュニケーションは、マスメディアが発展・維持させてきたコミュニケーションのあり方を変えはじめた。一つの象徴は、1998年に起こった「東芝クレーマー事件」であろう。無名な消費者は、大企業の傲慢な電話応対を録音してオンラインで公開し、結果的に謝罪を勝ち取った。2000年の西鉄バスジャック事件(別名ネオむぎ茶事件)では、容疑者が掲示板に犯行予告を書き込んでいた。
人々はながらくマスコミュニケーションの一方的な受け手であったが、インターネットを利用することで送り手としての力を発揮するようになった。マスメディアのジャーナリストたちもサイバースペース内部の動向をウォッチし、取材源にしはじめた。1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件(=酒鬼薔薇事件)では当時14歳だった容疑者が、新聞社に手書きの犯行声明を郵送したが、それ以降、わざわざマスメディアに犯行声明を送り事件を攪乱した。だがそれ以降、メデイア企業を舞台にした重大事件はあっただろうか。
この頃、マスメディア(万能)時代は終焉を迎えたという言説が、オンラインで頻繁に交わされるようになった。ネットメディアに活躍の場を見出した人たちにとって、既存のマスメディアはアンシャンレジームであり、自由な情報流通のボトルネックのような存在に映った。新聞やテレビは情報を恣意的に操作しているけれど、ネットの世界こそ自由であり正しい情報が得られるという噂を信じる人は増加した。それはヘイトスピーチを煽る団体の人たちにも、カウンター・デモをしたり反原発を訴えたりする人たちにもみられる。
たしかに、デジタル技術の革新といえるものもあった。Web2.0という言葉は2004年ごろからさかんに使われ始めた。個人履歴を解析するamazonのリコメンド機能や、Googleのテキスト広告が脚光を浴びた。身近なところでは、個人ブログのトラックバック機能を使ったマーケティングが行われるようになったりもした。これら新機能・新勢力が、従来のマスメディア企業を技術の面でもビジネスの面でも凌駕するであろうという言説がサイバースペースでたびたび話題になった。米国ではクラシファイド広告がクレイグスリストに食われはじめた(しかし、日本のメディア企業も新技術を採り入れ、IT企業と連携してデジタル事業を展開したためWeb2.0が放っていたオーラは褪せてしまった)。
これら多方面にわたる変化のなかで(あるいは変化を促すかのように)、予言的な書物も量産された。メディアやコミュニケーションが変わりつつあるということを分析的に考察したものもあったが、根拠の乏しいものも目についた。「アメリカで起きている変化がやがて日本にやってくる」式のものがその典型である。このほか、「技術詳しい(あるいは市場に詳しい)俺様を信じなさい」式のもの。「○○は終わった/死んだ」式のヘンテコ文明論者が大勢も現れた。その中心で得意げに踊っていた(踊らされていた?)のが、既存メディア出身のジャーナリストたちであったのは皮肉としか言いようがない。
いまふり返れば、トンプソンとスローンが描いたEPIC2014的なる未来ビジョンに、だれもが踊らされていたといえるし、サイバースペースに横溢していた技術決定論的な未来像をトンプソンとスローンたちが機敏に察知してクールな動画に集約したともいえる。EPIC2014が描いた未来社会では、Googleとamazonが合併してGooglezonという企業が生まれ、New York Timesが著作権裁判で敗訴してサイバースペースから撤退して高齢者対象の紙メディアになる。だが、それら予言が当たったか当たらなかったかは重要ではない。いま反芻すべきは、技術は人々の欲望を映して急変しつづけたが、ジャーナリズム倫理やデモクラシーをめぐる議論が追いつかなったという黙示録のようなナレーションのほうであろう。安易な予言を振りまいたり、振り回されたりする前に、すべきことはたくさんあった。
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コメント
たどり着くのは、個人の知性のありようになる。
マス・メディア信仰にしろ、ウェブ信仰にしろ。
果てさて。
それを読み取る、読み解くための一人一人の知性のありようは、テクニカルな情報流通量の増大に追いついていない。
投稿: ママサン | 2014年1月 5日 (日) 10時51分