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2014年3月23日 (日)

北関東連続幼女誘拐殺人事件という仮説

 清水潔『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮社、2013年)を読みました。昨年12月に出版されて以来、多方面から注目をあつめ続ける話題作です。いくつかの書評で清水さんの存在を知り、気になっていたのですが、ようやく読めました。清水さんの取材過程と問題意識がつづられていて、調査報道の大切さを教えてくれます。

清水潔(2013)『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』新潮社

 本の内容については、あちこちで紹介されているので、ここではわたしの疑問や感想を備忘録として記しておきます。

 ひとつは「客観的」な報道を問い直さないといけないなあということです。清水さんは、5人の少女が次々と殺害されているという仮説を立て、取材をす進めています。その取材は執念という言葉が似合いうように思えます。しかし、清水さんは、他社を出し抜いてスクープすることよりも、犯人逮捕のほうが大切であるという旨の記述もしており、じっさい、「犯人」を特定して、捜査機関に情報提供しています。

 ジャーナリストは公共的な情報を人々に伝える使命をもつけれど、「犯人」逮捕はジャーナリストの使命とは言えないという意見もあるでしょう。清水さんは結果的に「犯人」を特定してしまったけれど、「犯人」探しのために取材活動がおこなわれるようになれば、主流の報道倫理は変更を迫られるでしょう。

 もうひとつは、ビジランティズムとの関係です。清水さんは写真週刊誌を皮切りに、記者クラブに属さないジャーナリストとしてのキャリアを積み、東京のキー局の記者をされています。彼にとって北関東は取材先であり、少女5人の遺族たちは、「隣人」ではありません。しかし、もし、地域独占型のマスメディアが「犯人」らしき人物を追及して、「逃げ切れるなどと思うなよ」などといって取り囲むようなことになれば、自警団の活動と近いものとなります。

 わたしは、地域のジャーナリストには、全国規模のジャーナリストとは異なる報道規範があると考えています。傍観者のような「客観」報道や、リスク回避のための「中立」の立ち位置が、主流ジャーナリズムの構造的な問題です。なので、清水さんはナショナルなレベルのメディアで働くジャーナリストでありながら、この問題に風穴を開ける功績をあげたように思います。たいへんすばらしい。

 もう一点、書き残しておきたいのは、清水さんの仮説が、県境問題を背景にしており、あらためてこれをクローズアップしたことです。清水さんによれば5件の連続幼女誘拐殺人事件は、県境をまたいで発生しています。このため県警本部も県紙も、似たような事件が狭いエリアで5件も連続して起こっているという見方をしてきませんでした。一県一紙は、地域ジャーナリストの視野を県内に狭めてしまう可能性があり、この点は県紙のジャーナリストにたちが課題として受け止めなければならないでしょう。

 読後2週間。覚えている範囲で、思いつくまま書いてみました。

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