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2014年6月20日 (金)

メディア企業ネット担当者の世代論

 昨夜、懇意にしている地方紙のジャーナリストたちと時間を忘れて深夜まで懇談しました。興味深かったのは、社会のデジタル化やグローバル化という大きな潮流に対応してきたマスメディア(新聞社)の担当者が、大きく分けて3つの世代に分類できるのではないかという議論です。

 第1世代は、ニュースをオープンにしていくことに積極的でした。インターネット元年(Windows95発売年)のサイバースペースは、まるでカルチェラタン(解放区)のような自由な空気が横溢し、メディアのデジタル部門担当者はその可能性を少しでも広げようとしました。

 第2世代は、新興IT企業や発言する個人の登場と対峙させられた世代でしょう。グーグルニュースやヤフートピックスが登場し、アマゾン・楽天などネット通販の拡大に度肝を抜かれました。その一方、「2ちゃん」的な言説に包囲されるなど、苦悩おおき世代といえましょう(共同通信時代の私は第2世代に属します)。

 第3世代は、これまでデジタル事業に消極的だったメディア企業が、ソーシャルメディアなどの仕組みを積極的に採り入れ、ビジネスとして取り組み始めた世代といえます。しかし、一方のサイバースペースはというと、集団分極化(極化)した過激なラウドマイノリティと、受動的で凡庸な多数の消費者たちで埋めつくされ(バカと暇人たち?)、第1世代の人たちが夢見た解放区の住民を見つけるのは困難です。

 昨夜議論をした地方紙のジャーナリストたちは、デジタル事業を軌道に乗せる必要に迫られつつも、やはり地域における公共的な使命をかなぐり捨てるわけにいかないというところで、懸命に踏ん張っていました。

 商売だけを考えれば、デジタル担当者は市場原理主義あるいは新自由主義に染まればよい。「世の中、結局、ゼニや!」と開き直れば良いのです。でも地域のジャーナリストたちの思考には、コミュニタリアニズム的なものがあり、そう簡単に割り切れるものではない。そこで彼らの口から飛び出してくる単語が「公共性」(パブリック)でした。

 わたしは全国メディア・東京メディアの人たちが論じる「公共性」という言葉と、地域メディアのジャーナリストたちの口からこぼれ落ちる「公共性」には、隔たりがあるような気がしました。前者は功利主義的なものが意識されているのに対し、後者には地元の隣人たちとのつながりが含意されているように思うのです。

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コメント

まってました!! ひさしぶりだよ〜。

投稿: わきた・けんいち | 2014年6月20日 (金) 17時25分

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