就職予備校にすらなり得ていない
「授業でくだらない雑談をする時間があったら、たとえばSPIで出題されるようなネタを教えてやれよ」――ずいぶん前のこと。ある教員に向かってそんなセリフを吐いたことがあります。当然、わたしの発言は完全否定されました。ケンカを売ったようなものなので仕方がありません。ただ、そのときの問題意識は消えずにくすぶっていて、各授業のコース内容を考えるときに思い出してしまいます。
本田由紀(2009)『教育の職業的意義――若者、学校、社会をつなぐ』ちくま新書.
難波功士(2014)『大二病――「評価」から逃げる若者たち』双葉新書.
期末試験の採点も終わり、たて続けに2つの新書を読みました。2冊とも学生たちと接していくうえでとても参考になりました。とくに本田さんの本は、東洋経済ONLINEが「名著に数えて良い本」と絶賛しています。同感です。教職員だけでなく大学生たちにこそ読んでほしいと思います。
本田さんは「教育の職業敵意義」のため、学生たちには「適応」と「抵抗」の両方を伝える必要を説かれています。企業社会に「適応」することばかりを称揚すれば、新自由主義的な経済構造に棹さしてしまいます。だからといって学生にたちに「抵抗」する術を教えるだけでも不十分です。いずれ自立して食っていかないといけないのですから。なので、その両方が必要だという本田さんの主張に納得しました。
わたしがもっとも興味を引かれたのは「キャリア教育」に対する批判です。キャリア教育はルーツをたどれば「勤労観・職業観」と「職業に関する知識や技能」の両面を含んでいたそうですが(本田 2009: 138)、後者が脱落していき、やがて「『生きる力』や『人間力』をつけるためのもの」(同 138)とみなされるようになりました。ただし、これが若者に及ぼす影響は,必ずしも若者のプラスになっていないようです。本田さんは、各種の調査結果から以下のような分析をしておられます。少し長いですが、引用します。
ここまでで見えてきた調査結果が示唆しているのは、「キャリア教育」がその対象となる若者の「勤労観・職業観」や「汎用的・基礎的能力」を高めるという政策的意図に沿った結果をもたらすよりも、そうしたプレッシャーのみを強めることによって、むしろ若者の不安や混乱を増大させてきた可能性が強いということである。望ましい「勤労観・職業観」や「汎用的・基礎的能力」の方向性は掲げながらも、それを実現する手段を具体的に提供することなく、結局は「自分で考えて自分で決めよ」と、進路に関する責任を若者自身に投げ出すことに終わっているのが現在の「キャリア教育」なのではないか。それを無前提に称揚・推進し、将来につながる具体的な手段や武器を若者に与えることが疎かにされていることに対して、筆者は強い危惧を覚えている。(同 155-156)
不意にバットで頭を殴られたような気持ちになりました。なんともお恥ずかしい限りですが、わたしにはキャリア教育を「学生を一人前の社会人として社会に送り出すうえで必要な知識や技能を教えるもの」と考え、どちらかといえば称揚する立場でした。じっさいキャリアの先生ともお付き合いがありますし。でも、こういう問題こそをキャリアの先生たちと議論したくなりました。
一方、難波さんの『大二病』は鋭い文明批評であるとともに、悩める学生たちにサバイバル術を教える実践的な内容でした。まるごと話し言葉で書かれているし、重要な部分にあらかじめアンダーラインが引かれているので、わたしのゼミ生にも読みやすいと思います(ゼミ生は夏休みに読んでおくよう奨めました)。分野は違いますが難波さんもメディアの実務経験をお持ちなので、みょうに親しみも覚えました。
難波さんの著書でハっとさせられた箇所はいくつもあります。もっともグっときたのは、第三章 「大二病時代の大学論」の第3節「大学は就職予備校か」で、アンダーラインがひかれていた以下の一節です。(アンダーラインは助かります)
多くの大学教員は、就活を大学教育を疎外するものとしてとらえがちですが、われわれの教育の効果がはかられる場が学生の就職活動なのだくらいに思った方がいいのではと主張したいのです。大学が就職予備校であってよいのか、という前に、就職予備校にもなり得ていない現状を直視すべきだと言いたいのです。(中略)/では、じゃあキャリアセンターよろしく~~~キャリア教育担当者におまかせ~~~といことにはならないはずだ、とも思います。いわゆる「実学」ではない学部であっても、その研究・教育に接することで、学生たちの「何とか定職に就き、自力で食べていけるようになる可能性」を高める方法があるのではないか。そんなふうに私は考え、こんな本を書いてしまいました。(難波 2014: 251-251)
就活に関する学生へのアドバイスも納得のいくものが多かったです。たとえば「一方的に評価されよう」(難波 2014: 160)という中見出しはわが意を得たり。学生どうしの仲間うちで互いにリスペクトしたり、プライドを守ることに汲々としたりしていれば、とりあえず傷つく心配はありません。でも、就職の面接に臨めば、だれもが否応なく一方的に評価されます。「お祈り」ばかりが続くと精神的につらいので、早いうちに適度な「ダメだし」を受けて馴れておけという教訓は、なにも学生だけではなく、アカポスを得ようとしている大学院生も読んでソンはないでしょう。
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