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2014年9月26日 (金)

いまさらふり返る就活

龍谷大学の教員になって1年半が過ぎようとしています。この間いろんなことがありました。仕事内容も激変しましたし、東京から京都に引っ越して間もなく大阪の父親が急死したときは楽ではありませんでした。しかし、この1年半より前から、しんどい経験もしてきました。ひとつは学位の取得であり、もうひとつは就活です。このうち就活について自分の経験を書いておきます。というのも、大学教授になるマニュアル本がいくつも出ていて、こうした風潮になんだか疑問を感じたからです。

実践応用編 サラリーマンのための 大学教授の資格
あなたも大学教授になれる 「知的自由人」のすすめ
新 大学教授になる方法
サラリーマンから大学教授になる!方法 (宝島社新書)
実践版 働きながら大学教授になる方法
1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記~大学教授公募の裏側~ (光文社新書)

社会人大学院生の中には、なんとなく大学教員への転身が視野に入ってしまう人もいると思います。無理もありません。企業から派遣されるのではなく、自らの意思で大学院の門を叩く人には、歯車で終わりたくないという気概の持ち主はいるはずです。なるほど社会人にとって、大学院での研究成果を職場に持って帰り、仕事に活かすことは理想です。しかし、学問研究が面白くなればなるほど、仕事が苦痛になるケースもあります。わたしは後者でした。大学院と職場がハレとケという感じでした。そこでわたしは仕事を辞めて博士論文を自宅で書きながら、大学の公募に応募し続けました。どちらも簡単ではありませんでした。

その間のわたしは無職。ありていにいえば失業者です(非常勤講師をやらせていただきましたので完全無給ではありませんでしたが)。

わたしが応募した教員採用の公募数は延べ約50です。そして、ほとんど書類選考で落とされました。まさにシューカツに涙汗を流す大学4年生と同じく、「お祈り」の手紙をたくさん受け取りました。噂にすぎませんが、大学によっては出来レースのような公募もあるようです。雇う側は「今回は専任の教授がほしい」「特任の講師が必要」と考えていたとしても、公募資料に事細かく書かれることはありません。なので、雇われたい側としては、毎回ダメモトで膨大な応募書類を送るしかありませんでした。

実際に面接に呼んでくれたのは3大学だけでした。約50大学に応募したわけですから、面接率6%です(採用率で言えば1勝50敗なので2%です)。これを少ないと感じる人もいると思いますが、いまふり返れば、わたしはとても幸運な部類に入るようです。100大学に応募し続け、ようやく・・・という話も聞きます。ただ、面接に呼んでもらったとしても、実際はすでに誰かに決まっていたり、はなから対象外の年齢だったり、ということもあり得ます。面接で足下を見るような失礼な面接官もいるでしょう。実務の現場を知らない純粋大学人からナメた口をきかれたら、さすがにムっとします。

余談ですが、新聞記者出身の大学教員のなかには、筒井康隆が『文学部唯野教授』で描いたようなことを敢行して「教授」になった人もいます。大物教授に記事を書かせてあげたり、自ら大学のチョウチン記事を書いたりして、恩を売って「教授」になったという人や、現在そうした活動をしている人を何人か知っています。しかし、自分の利益のためにメディアを悪用したようなインチキ野郎が、若者に「マスコミ論」とかを担当して、学生の学びにならない武勇伝や「若い記者は取材力が衰えた」と宣っているのかと思うと、学生は本当に気の毒です。おっとっと、この段落は独言です。

さて、いま大学院で学位を目指している社会人の参考になるかどうかわかりませんが、大学は「狭き門」だと思います。今後、団塊の世代の教員が抜けてポストに空きが出る大学も多少あるでしょう。でもすべての大学は少子化という大きな波を受けています。常勤の専任教員が退職しても、そのポストが「任期付きの特任」になったり、ひどい場合は「非常勤」になったり、ということはあり得るのではないでしょうか。それでもわたしは社会人のキャリアを積んだ人が教壇に立つことは双方に良いことだと思っています。

もしいまタイムスリップして、退職届を提出しようとしている過去の自分に出合えるとすれば、きっとこう言うでしょう。「これから経験することは、そんなに生やさしいもんやおまへんで」「就活なんて運が99%。コネなしの場合は博打やからね博打!」と。

応募したのが約50大学。面接に呼んでくれたのが3大学。で、採用してくれたのは1大学。これが毎日新聞社、日経トレンディ編集部、共同通信社の編集現場で四半世紀働いてきた50歳代の元部長の戦績です。むろん、ただの部長ではないかもしれません。東大の学際情報学府という名前の大学院に入学し、修士課程3年、博士課程6年の計9年間も勉強しました。新宿の伊勢丹写真館で撮った写真を履歴書に貼りました。呼んでももらえないのに面接のイメトレもしました。非常勤講師をして教歴も作りました(非常勤だっていまや奪い合いの時代です)。査読論文も書きましたし、単著も共著も出しました。博士論文の審査を闘い抜きました。それでも1勝50敗。それでも、この数字は幸運なほうです。

忘れてはいけません。失業中のわたしを支えてくれた同居人には心配と苦労をかけました。いくら感謝してもしきれません。支えてくれて、信じてくれる人がいなかったら、もしかすると耐えられなかったかもしれません。

大学教員公募についてのメモ
Deus ex machinaな日々 - 大学教員になる方法「強化版」
NAVERまとめ - 大学教授になるには、どうすればよいのか

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