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2015年3月22日 (日)

ジャーナリズムとアドボカシー

20150321キャンパスプラザ京都で3月21日、龍谷大学松浦さと子研究室主催のシンポジウム「コミュニティメディア-その公共性とジャーナリズム」が開催され、私も登壇してきました。もともと札幌大谷大学の北郷裕美さんがメインスピーカーだったのですが、体調を崩されたため急きょ、わたしにキーノートスピーチをすることになりました。その概要を簡単に書いておきます。

演題は本と同じく「地域ジャーナリズム: コミュニティとメディアを結びなおす」でした。

当日わたしが配布したレジュメは以下の通りです(一部端折りましたが)。
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発端 NPOに紙面を提供して経営改善に成功した新聞社が新潟にあるという噂。
    疑問:新聞の部数が増えるはずがない。外部に紙面作りを任せるはずがない。

概略 NPOに紙面を提供する新聞社:上越タイムス
    紙面を作っている中間支援型NPO:くびき野NPOサポートセンター
    1999年から「協働」。金銭的やりとりなし。現在、月曜の計4面をNPOが制作。
    新聞の発行部数は3倍以上に、単位人口あたりNPO数は県内随一に。

疑問 新聞社がNPOに紙面の一部を開放する「協働」は前例なし。
    従来のジャーナリズム理論では、上越の現象を説明できない。
    「パブリックアクセスの新聞版」といわれているが・・・ほんま?

反省 背中合わせの〈市民(地域)メディア研究〉と〈ジャーナリズム研究〉
    市民メディア研究→メディア産業の商業主義を警戒、報道倫理に関心薄。
    ジャーナリズム研究→巨大メディアに力点を置き、小さなメディアに無関心。
        「コミュニティ・ジャーナリズム」って、
         田舎のちっぽけな新聞社の心意気みたいな話なの?

研究 上越の実践例を考察することで、地域とジャーナリズムをツナグ
    分析概念:「番犬」と「善き隣人」
    批判的に検討した概念:日本新聞協会の「編集権声明」、「一流」ジャーナリストのメディア観

結論 地域紙がNPOと協働して問題解決を模索したり提言したりするのは重要。
    権力の「番犬」だけでなく、地域社会の「善き隣人」としての期待は大。
    これらはナショナルな規模のメディアが取りこぼしてきたこと。

地域ジャーナリズムとは↓
 大手メディアの「ミニ版」ではなく、中央と地方の固定的な関係に気づかせ、
 分権型の社会で強く要請され、地域社会・市民社会に開かれたコミュニケーションを促し、
 その実践者は、専門職ジャーナリストのほか、インフォーマルなセクターの参加を前提とし、
 必要に応じて「正義」や「善」、「郷土愛」などの価値にコミットする
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上越タイムスくびき野NPOサポートセンターの協働実践が成立した条件や継続した背景についての分析は、拙著のなかで書いていますので、省略します)

 コメンテーターの先生方からはいくつもの有益な助言や批判をいただきました。特筆すべきは「ジャーナリズム」という言葉の取り扱いです。地域メディアやコミュニティFM(CMF)の実践者たちが「ジャーナリスト」を名乗るのを、見たことがありません。ディレクター、パーソナリティ、DJ、アナウンサーはいるけれど、「ジャーナリストってだれだ」という認識。機材を持って町の声を拾いに行くのは「取材スタッフ」かな。「報道」というよりも「放送」という感覚なんですね。

 でも実は、「報道機関」の看板を掲げる大手メディアでも「ジャーナリスト? そんな立派な者じゃござんせん」と苦笑いする記者もいます。その数はけっして少なくありません。ジャーナリストというのは、テレビで評論家のように自説を述べたり、命を削って権力の中枢や戦場などを駆け回る優秀な取材者に対する「尊称」といえば、大げさでしょうか。「それでもジャーナリストか」とか「ジャーナリスト失格だ」みたいな表現はよく聞きました。

 なので、「コミュニティ」と「ジャーナリズム」を結ぶわたしの議論は、予想以上に違和感を与えていたようです。名古屋大学の小川明子先生からは「あくまでもジャーナリズムという言葉にこだわりますか」と問われ、なるほどそこは大事なポイントだなあと痛感しました。シンポジウム後の宴では、元立命館大学の津田正夫先生から「ジャーナリズムに代わる言葉はないかね」と笑顔でお声がけいただきました。市民メディアの研究者とジャーナリズム研究者が両側から越えていくうえで、この言葉の問題は避けてはいけないですね。

 わたしは「協働紙面」に取り組む上越タイムスくびき野NPOサポートセンターの事例分析から、権力監視(ウォッチドッグ)だけがジャーナリストではなく、善隣性の機能も同じくらい重要であり、身近な情報を受け渡ししている人もジャーナリズムの実践者だと考えていますが、もしかすると、説明のために言葉が足りなかったのかもしれません。あるいは、再度対論すれば、もうちょっと気の利いた説明ができるかな。

 もうひとつはNPO研究で語られる「アドボカシー」とジャーナリズムの間によこたわる深くて暗い溝。松浦さと子先生から「アドボカシーの説明を」と促されました。わたしのアドボカシーについての理解は、オクスファムのデビッド・コーエンの社会正義論を読んだ程度ですが、じつは多義的な概念です。松浦先生によるとNPOの世界でも考え方にばらつきがあるようです。ただ、この言葉もNPO研究者とジャーナリズム研究者の間で、おおよその白黒をつけておかなければならなりません。なぜなら、ジャーナリズムの世界では、アドボカシー的な報道は「公正・中立」や「客観主義」から逸脱する未熟な報道だからです。

 ほかに、情報科学芸術大学院大学の金山智子先生や明星大学の寺田征也先生からも貴重なご意見をいただきましたが、とても長くなるので、このエントリーでは省略させていただきます。十分に応えられたかやや不安ですが、ありがとうございました。心から感謝します。

 なお、ラジオ関係者が多数詰めかけけたシンポジウムで、活字系のわたしはやや浮いた印象でしたが、論点や難点も見えてきたので、第2~第3ラウンドの論戦(?)が楽しみになってきました。(それにしても、巨大メディアで働いてきたジャーナリストたちが、大学に移籍するや、なぜ市民メディアや地域メディアに強い関心を寄せるのでしょう。これ、ふしぎな現象だと思いません?)

 なお、このシンポジウムで心に響く話をされたのは、福島県富岡町民向けCFM「おだがいさまFM」の吉田恵子さん、たんばしさいがいエフエムの足立宣孝さん、FMわぃわぃの日比野純一さんです。現場で汗を流すことはほんとうに尊いということを思い知りました。吉田さんがわたしの話を受けて「ラジオは福祉なんだ」と喝破された感覚の鋭敏さには脱帽です。ありがとうございました。

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