地方議会改革と地域メディア
片山善博さんが昨日(7日)、京都新聞のオピニオン面「現論」で「地方議会の改革を」を訴えていました。片山さんといえば、鳥取県知事や菅内閣で総務大臣などを務めた地方自治のスペシャリストです。なので、片山さんがこういうコラムで提示する問題の枠組みは、門外漢によい導きの糸になります。ただ、わたしとしては、メディアについての言及もほしかったなと思いました。
地方議会はわたしたちにとって最も身近な政治の舞台であり、同時に、学びの場でもあります。なぜなら地元自治体の議会は、みんなで持ち寄ったお金の使い途(予算)や地域のルール(条例)を最終的に決定する重要な機関だからです。その昔、トクヴィルというフランスの政治学者が「地方自治は民主主義の学校」と呼びましたが、そのとおりですね。
しかし、片山さんによると、地方議会の存在感は薄く、議場でのやりとりが「学芸会」のようになることが珍しくありません。「何を質問していいか分からず、自治体職員に質問をつくってもらう議員も少なからずいるのが実情」。「時間がないという割には、『行政視察』などと称して大勢で他県に出かけているし、海外まで足を伸ばす議員もいる」。片山さんは、そんなふうに地方議会の怠慢な議員たちを厳しく批判しています。
地方議会の討議をひろく有権者に見てもらう(傍聴してもらう)ためには、「夜間ないし休日に開くことにすれば」という案も、これまでよく聞かれましたが、コラムのなかで片山さんは一歩進めて、「住民に発言の機会を付与してはどうか」と提案しています。「住民には、聞いてもらいたいことが山ほどある」からです。一理あります。そういえば、わたしもかつて暮らしていた東京・文京区議会に足を運び、意見(野次?)のひとつも言えない窮屈さを感じたことがあります。
しかし、どうでしょう。ほんとうに傍聴者に「発言の機会を付与」するルールを作れるでしょうか。発言する人は同じメンバーになったり、特定会派(政党)の応援団が組織的に動いたりすることは容易に想像がつきます。差別的な発言にどう対応するのでしょう。勝手気ままな「言い合い合戦」では、「民主主義の学校」が泣きます。「発言の機会を付与」よりも、まずは「話し合いへの参加」のほうが、好ましいように感じます。「付与」というのは、どうも上から目線の印象があるからです。
わたしの勝手な想像ですが、片山さんのような知識も経験もある方にしてみれば、この手のコラムは、左手でも書ける内容です。実際、なんの葛藤も悩みもなく書かれたのではないでしょうか。光は当たらないけれど地道な活動をしている若い地方議員たちにしてみれば、「学芸会」の比喩には、「ああまたか」とタメ息が出たことでしょう。なるほど、ご意見番の説教は、地方紙のオピニオン面ではたいへん据わりがよい。でも、「発言の機会を付与」がいかに困難であるかを知っているのは片山さんご自身のはず。わたしはその案を前にすすめるためには、地域メディアを抜きにしては考えられないと思っています。
地方議会の改革は、地方紙やコミュニティFMなど地域メディアとともに進めるべきではないか。そんな気がしていうます。地域のジャーナリストは、全国紙と同じような客観的な観察者ではなく、たんなる情報提供者でもなく、もっと積極的に自治の問題に関わってみてもいいのではないかな。
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